大町昭義
大町 昭義(おおまち あきよし、1958年10月17日 - )は、群馬県出身のプロゴルファーである。元・フォーラムエンジニアリング所属。
Akiyoshi OHMACHI | |
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基本情報 | |
名前 | 大町 昭義 |
生年月日 | 1958年10月17日(66歳) |
出身地 | 群馬県 |
経歴 | |
成績 | |
優勝回数 | 日本男子:4勝 |
賞金ランク最高位 | 日本男子:10位(1989年) |
2009年4月23日現在 |
略歴
編集師匠は青木功。1981年に日本大学経済学部経済学科を卒業し[1]、1983年にプロテスト合格。1985年には賞金総額で僅か25000円の差で41位となり、シード権を獲得できなかったが、1986年には奮起。海外のハワイパールオープンで68-68-70の安定したプレーを続け、通算206の10アンダー初優勝、賞金7000ドルを獲得。初日、2日目とも4アンダー、最終日はトップの8アンダーで最終組でスタート。正確無比の長打に、各ショットも冴えて3バーディ、1ボギーの70で回り、危なげない優勝であった。2アンダーでスタートした牧野裕は66と素晴らしい追い込みを見せるも大町には2打及ばず、期待された倉本昌弘は7オーバー、羽川豊も9オーバーと振るわなかった[2]。国内に戻ると、静岡オープンで日本ツアー初優勝、自身2勝目を挙げる。この時は、4日間通算2オーバー、254ストロークで並んだ杉原輝雄とのプレーオフを制しての勝利だった。1987年よりアメリカPGAツアーに参戦し、ディポジット・ギャランティー9位、ヒューストン・オープン6位、ウェストチェスタークラシック9位と3度のベスト10入りを記録[1]、翌年のツアーシード権を獲得した。1989年にはミズノオープン、かながわオープンを制し、日本シリーズでは自身唯一の日本タイトルを制覇。大会では中嶋常幸に7打差の4位に付けていたが、最終日を66で回って中嶋に2打差を付ける大逆転で、1987年のデビッド・イシイ( アメリカ合衆国)以来の初出場初優勝を飾った[3]。1991年の全日空オープンでは最終日に2位に2打差の通算5アンダー、首位でスタート。攻撃的なゴルフで着実にスコアを伸ばし、3バーディー、2ボギーのトータル6アンダーで優勝。若手の川岸良兼に2ストローク差をつけて、自身1年9ヶ月ぶりの日本ツアー5勝目を挙げた。3位はトータル2アンダーで連覇を狙った中嶋が入賞[4]。1998年からは太平洋クラブゴルフアカデミー校長を務め、トーナメント中継の解説などテレビ・雑誌等で活躍し、ジュニアゴルファーの育成にも力を入れていた[1]。
主な優勝
編集※太字は日本タイトル
- 1986年 - ハワイパールオープン、静岡オープン
- 1989年 - ミズノオープン、かながわオープン、日本シリーズ
- 1991年 - 全日空オープン
脚注
編集外部リンク
編集- 大町昭義 - 日本ゴルフツアー機構のプロフィール