大枝直臣
大枝 直臣(おおえ の なおおみ)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。名は真臣とも記される。能登守・大枝真仲の子孫とする系図がある[1]。官位は従五位下・駿河権守。
時代 | 平安時代初期 - 前期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 真臣 |
官位 | 従五位下・駿河権守 |
主君 | 仁明天皇→文徳天皇→清和天皇 |
氏族 | 大枝氏 |
経歴
編集承和13年(846年)従五位下に叙爵し、備後守に任ぜられる。嘉祥2年(849年)備後守に重任。
斉衡3年(856年)鼓吹正に任ぜられると、のち玄蕃頭・諸陵頭と文徳朝末にかけて京官を歴任する。天安3年(859年)河内守に転じると、貞観3年(861年)越中介次いで駿河権守と、清和朝では再び地方官を務めている。
官歴
編集『六国史』による。
脚注
編集- ^ 鈴木真年『百家系図稿』巻10,土師連諸流