大政翼賛の歌
1941年に発売された歌
大政翼賛の歌(たいせいよくさんのうた)は、1941年(昭和16年)3月にレコード会社6社から発売された歌。『われらのうた』で放送された。
音楽・音声外部リンク | |
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全曲を試聴 | |
大政翼賛の歌 - 伊藤久男・霧島昇・二葉あき子ほかの歌唱、日本コロムビア提供のYouTubeアートトラック。 | |
大政翼賛の歌 - 永田絃次郎・長門美保の歌唱、キングレコード提供のYouTubeアートトラック。 |
概要
編集1940年(昭和15年)に発足した大政翼賛会によって主催し公募された。
詞は長野県の教員だった山岡勝人、曲は鷹司信輔公爵の嫡男で当時中学5年生だった鷹司平通[1]の作品がそれぞれ選ばれた。編曲は童謡『めんこい仔馬』などの作品で知られる仁木他喜雄が行った。国民歌謡の後身、われらのうたによって流されて大ヒットした。また、日本を代表する大手レコード会社が競作した。
戦後、作曲者の鷹司平通は、1950年(昭和25年)に昭和天皇の第三皇女孝宮和子内親王と結婚した。和子内親王の弟継宮明仁親王の家庭教師だった米国人作家E・G・ヴァイニング夫人は著書『皇太子の窓』(原題:Windows for the Crown Prince)において、平通の作曲家ぶりについて「学生時代の作品の一つはコンクールに入賞して、日本中の子どもたちが歌ったものだという」とし、当時初等科6年生だった孝宮も、将来の夫が作った作品とは知らずにその曲を覚えたと、タイトルに触れず本曲を紹介した[2]。
また、海軍軍楽隊の斉藤丑松はこの曲をトリオに入れた行進曲を作曲し、行進曲「大政翼賛」として陸軍戸山学校軍楽隊が演奏し発表された。
吹き込み歌手
編集類似作
編集1942年(昭和17年)頃に募集された戦艦大和艦歌(作詞:坂井保朗少佐、作曲:岩田重一軍楽隊長)の前半部分の旋律は本作品と同一であるが、その経緯については判明していない。
脚注
編集- ^ 1941年3月2日 朝日新聞「「翼賛の歌」当選曲決る 中学生に栄冠/当選は鷹司公令息」
- ^ ヴァイニング 2015 p.414
参考文献
編集- E・G・ヴァイニング 著、小泉一郎 訳『皇太子の窓』文藝春秋〈文春学藝ライブラリー〉、2015年4月20日。ISBN 978-4168130441。 ※原著初版は1951年