大場四平
日本陸軍の軍人
大場 四平(おおば しへい、1890年(明治23年)1月14日[1] - 1963年(昭和38年)7月25日[1])は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
編集宮城県出身[1][2]。大場喜七の息子として生まれる[3]。1910年(明治43年)5月、陸軍士官学校(22期)を卒業し[1]、同年12月、歩兵少尉に任官[4]。
1936年(昭和11年)8月、歩兵大佐に昇進し歩兵第7連隊留守隊長に就任[2]。1937年(昭和12年)8月、歩兵第42連隊長に転じ日中戦争に出征[1][2]。太原攻略、徐州会戦などに参戦[1]。1938年(昭和13年)7月、豊橋陸軍予備士官学校歩兵学生隊長に異動し帰国[2]。1939年(昭和14年)8月、陸軍少将に進級し留守第10師団司令部付となる[1][2]。
1940年(昭和15年)8月、第10歩兵団長に就任し太平洋戦争を迎えた[1][2]。1942年(昭和17年)8月、陸軍中将に進み第16師団長に親補され、フィリピン防衛を担った[1][2]。1944年(昭和19年)3月、参謀本部付に移り、同年6月、東京湾要塞司令官に就任[1][2]。1945年(昭和20年)6月、東京湾兵団司令官兼東京湾要塞司令官に発令され、アメリカ軍の上陸に備え終戦を迎えた[1]。
栄典
編集- 位階
- 1911年(明治44年)3月10日 - 正八位[6]
- 1914年(大正3年)2月10日 - 従七位[7]
- 1919年(大正8年)3月20日 - 正七位[8]
- 1924年(大正13年)5月15日 - 従六位[9]
- 勲章
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[10]
親族
編集脚注
編集- ^ a b c d e f g h i j k 『日本陸軍将官辞典』158頁。
- ^ a b c d e f g h 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』278頁。
- ^ a b 「大場弥平」『日本陸海軍総合事典』第2版、37頁。
- ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』271、278頁。
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」122頁。
- ^ 『官報』第8313号「叙任及辞令」1911年3月11日。
- ^ 『官報』第460号「叙任及辞令」1914年02月12日。
- ^ 『官報』第1988号「叙任及辞令」1919年03月21日。
- ^ 『官報』第3533号「叙任及辞令」1924年6月4日。※大場四郎と誤記載
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。