大仙院

京都市北区にある大徳寺内にある塔頭

大仙院(だいせんいん)は、京都府京都市北区にある臨済宗大徳寺内にある塔頭寺院

大仙院

参道
所在地 京都府京都市北区紫野大徳寺町54-1
位置 北緯35度2分40.44秒 東経135度44分45.42秒 / 北緯35.0445667度 東経135.7459500度 / 35.0445667; 135.7459500座標: 北緯35度2分40.44秒 東経135度44分45.42秒 / 北緯35.0445667度 東経135.7459500度 / 35.0445667; 135.7459500
宗派 臨済宗大徳寺派北派
寺格 大徳寺塔頭、北派本庵
本尊 釈迦牟尼仏
創建年 永正6年(1509年
開基 古嶽宗亘
文化財 方丈、大燈国師墨蹟(国宝)
方丈障壁画ほか(重要文化財)
書院庭園(史跡、特別名勝)、庭園(名勝)
法人番号 2130005001219 ウィキデータを編集
大仙院の位置(京都府内)
大仙院
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書院庭園の枯滝組
書院庭園
方丈南庭

歴史

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永正6年(1509年)に大徳寺76世住職古嶽宗亘(こがくそうこう、大聖国師)によって創建された。現在22に及ぶ大徳寺塔頭中、北派本庵として最も尊重重視される名刹である。

1965年昭和40年)より住職を務める尾関宗園(おぜきそうえん)は著書も多数ある名物和尚で、その豪快な説法で知られる。

文化財

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国宝

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  • 本堂(方丈)(附:玄関)-永正10年(1513年)に古嶽宗亘が自分の隠居所として建立したもので、日本の方丈建築としては東福寺龍吟庵方丈に次いで古い遺構である。「床の間」が現れるのもこの時代で、大仙院の床の間は日本最古とされ、「玄関」も日本最古の玄関として国宝に指定されている。
  • 大燈国師墨蹟

重要文化財

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  • 紙本淡彩四季耕作図 8幅(礼の間、伝狩野之信[1]
  • 紙本著色花鳥図 8幅(檀那の間、狩野元信筆)
  • 紙本墨画瀟湘八景図 6幅(室中、相阿弥筆)
  • 紙本墨画瀟湘八景図 16幅(室中、伝相阿弥筆)

以上4件は方丈障壁画で、現在は掛軸に改装されている。室町時代を代表する障壁画で、フランスルーヴル美術館にも出展されたことがある。なお、大仙院旧方丈障壁画のうち、衣鉢の間と書院の間(すいしょう室)[2]にあった墨画の禅宗祖師図など24幅は東京国立博物館の所蔵となっている。

  • 牡丹孔雀文堆朱盆
  • 書院「拾雲軒」 - 沢庵宗彭宮本武蔵に剣道の極意を授けた処として喧伝されているが、室町時代の代表的書院建築である。

史跡・特別名勝・名勝

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  • 大仙院書院庭園(国の史跡特別名勝
    室町時代を代表する枯山水庭園である。本堂(方丈)北東の室である「書院の間」の北から東にかけて築庭されている。鶴島と亀島の間の蓬莱山から流れ落ちる滝が、大河となって大海に流れ込む様を表現し、滝、橋、舟などをすべて石で表す。狭い面積に広大な景観を表現したもので、開祖古嶽宗亘による作庭とみられる。庭は以前は杉苔で覆われていたが、1953年に白砂敷きに復元された。東京国立博物館に所蔵される江戸時代後期の大仙院石庭の起こし絵図(折り畳み式の立体絵図)と比較すると、現在の庭は旧状をよくとどめていることがわかる。庭を横切る渡廊は前述の起こし絵図に基づき、1961年に復元されたものである。[3]
  • 大仙院庭園(国の名勝) - 方丈の南側および周囲の庭園。方丈南庭は白砂の中に2か所の砂盛を配したのみの簡潔な庭である。

アクセス

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脚注

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  1. ^ 古来より之信の作とする伝承が付随するが、これを裏付ける史料はなく、画風も明らかに異なる(京都国立博物館編集 『室町時代の狩野派 ―画壇制覇への道―』 中央公論美術出版、1999年、p.264)。 。
  2. ^ 「すい」は「生」の第3画目の縦画が上に突き出ない形の字。Unicodeは738D。「しょう」は草冠に「召」。
  3. ^ 『日本史小百科 庭園』、pp.210 - 211; 『図説日本の史跡 6 中世』、p.288

参考文献

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  • 森蘊『日本史小百科 庭園』、東京堂出版、1988
  • 『図説日本の史跡 6 中世』、同朋舎出版、1991

関連項目

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外部リンク

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