塚穴古墳 (志摩市)
塚穴古墳(つかあなこふん、志島4号墳)は、三重県志摩市阿児町志島にある古墳。志島古墳群(志摩市指定史跡)を構成する古墳の1つ。形状は円墳。
塚穴古墳 | |
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墳丘・石室開口部 | |
別名 | 志島4号墳 |
所属 | 志島古墳群 |
所在地 | 三重県志摩市阿児町志島234ほか |
位置 | 北緯34度18分39.80秒 東経136度53分20.00秒 / 北緯34.3110556度 東経136.8888889度座標: 北緯34度18分39.80秒 東経136度53分20.00秒 / 北緯34.3110556度 東経136.8888889度 |
形状 | 円墳 |
規模 | 直径20m |
埋葬施設 | 両袖式横穴式石室(高倉山型) |
出土品 | 銅鋺・金銅製品・耳環・武器・馬具・須恵器・土師器 |
築造時期 | 7世紀中葉 |
史跡 | 志摩市指定史跡「志島古墳群」に包含 |
地図 |
概要
編集三重県東部、志摩半島先端部の安乗崎・大王崎の間、緩やかに東に突出する海食台地の、北東端の段崖上に築造された古墳である。2012-2014年度(平成24-26年度)に発掘調査が実施されている。
墳形は円形で、直径約20メートルを測る。墳丘周囲には周溝が巡らされる[1]。ただし、北側では周溝は別の円弧を描いており、削平された5号墳と周溝を共有した可能性がある[1]。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南南西方向に開口する。石室全長10.6メートルを測る大型石室で、伊勢市の高倉山古墳に類似する高倉山型石室になる。石室内は盗掘に遭っているが、調査では銅鋺・金銅製品のほか耳環・武器・馬具・須恵器・土師器など多数の副葬品が検出されている。築造時期は、古墳時代終末期の7世紀中葉ごろと推定される[1]。なお、石室下層では古墳時代中期の5世紀前半(TK216型式期)の須恵器・土師器が検出されており、中期古墳を壊して築造された可能性があるとして注目される。
遺跡歴
編集埋葬施設
編集埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されており、南南西方向に開口する。石室の規模は次の通り[1]。
- 石室全長:10.8メートル
- 玄室:長さ7.7メートル、幅2.2メートル、高さ2.3メートル
- 羨道:幅1.4メートル
玄室の奥壁では、最下段に大石2石を置いた上に石を積み上げるが、奥壁と側壁の境界はL字状の石を架け渡すなど不明瞭である。天井石は6石で、奥壁から2石目を最高所として開口部に向かって下がる[1]。石室の形態としては、長大な玄室・短小な羨道・断面弧状の玄室天井・両袖の退化などの点で高倉山古墳(伊勢市)・小金3号墳(明和町)などと同様の特徴を有しており、「高倉山型石室」と捉えられる。
石室内は盗掘に遭っているが、石室内の調査では銅鋺・蛇尾・鋳造鈴・鍛造鈴・板状金銅製品・花形飾金具のほか、耳環・玉(空玉・勾玉・丸玉・小玉・トンボ玉)・刀・鏃・弓飾金具・刀子・刀子装具・銀装鉄釘・鉄釘・馬具(雲珠・双脚飾鋲・飾金具・鉸具・鉄製壺鐙・兵庫鎖)・須恵器(坏・高坏・平瓶・𤭯・甕)・土師器(坏・甕)などが検出されている。また石室内の断ち割り調査では、下層から古墳時代中期の須恵器(𤭯2・壺1)・土師器(高坏5)が検出されており、築造以前に中期古墳が存在した可能性が指摘される[1]。
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玄室(奥壁方向)
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玄室(開口部方向)
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羨道(開口部方向)
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開口部
関連施設
編集- 志摩市歴史民俗資料館(志摩市磯部町迫間)
脚注
編集参考文献
編集(記事執筆に使用した文献)
- 地方自治体発行
- 「志島古墳群」『三重県史』 資料編 考古1、三重県、2005年。
- 「塚穴古墳(志島古墳群4号墳)発掘調査概報」『平成23~28年度 志摩市内遺跡発掘調査報告』志摩市教育委員会〈志摩市埋蔵文化財調査報告5〉、2018年 。 - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。
- 『志摩市の文化財 (PDF)』志摩市教育委員会、2018年。 - リンクは志摩市ホームページ。
- 事典類
- 「志島古墳群」『三重県の地名』平凡社〈日本歴史地名大系24〉、1983年。ISBN 4582490247。
関連文献
編集(記事執筆に使用していない関連文献)
- 村上喜雄「志摩の横穴式石室」『郷土志摩』第49号、志摩郷土会、1976年。
- 関西大学文学部考古学研究室 編「阿児町志島古墳群の調査」『紀伊半島の文化史的研究』 考古学編、清文堂出版〈関西大学文学部考古学研究第6冊〉、1992年。