堀田 貢(ほった みつぐ、1876年1月28日 - 1926年2月3日[1])は、日本の内務官僚警視総監内務次官

堀田貢

経歴

編集

福島県安積郡河内村(現:郡山市)で堀田喜左衛門の二男として生まれる。安積中学第二高等学校を経て、1904年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。逓信省に入り通信属として通信局に配属。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。同年12月、内務省に転じ内務属として地方局に配属された。

1905年11月、千葉県事務官に就任。以後、千葉県第三部長、神奈川県事務官、茨城県事務官・警察部長、内務書記官大臣官房文書課長、内務省参事官内務大臣秘書官兼官房文書課長、大臣官房会計課長兼文書課長、京都府内務部長などを歴任。1917年1月から11月まで休職し欧米に戦時状況の視察のため出張した。

帰国後、1917年12月、内務書記官兼内務監察官として復帰。1918年4月、土木局長に就任。水野錬太郎内務大臣により、1922年6月、警視総監に登用され、同年10月、内務次官となるが、病のため1923年6月に辞職した。

栄典

編集

親族

編集

脚注

編集
  1. ^ 参考文献『大正過去帳』335頁。
  2. ^ 『官報』第1038号「叙任及辞令」1916年1月20日。

参考文献

編集
  • 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。
  • 『大正過去帳 物故人名辞典』東京美術、1973年。
公職
先代
川村竹治
  内務次官
第24代:1922 - 1923
次代
井上孝哉