基棟王
基棟王(もとむねおう、生没年不詳)は、平安時代初期から前期にかけての皇族。桓武天皇の孫。三品・葛井親王の子。官位は従三位・刑部卿。
経歴
編集桓武天皇を祖父に持つ二世王であったが四位への直叙はなされず、五位を経て承和6年(839年)従四位下に叙せられる。
貞観2年(860年)21年振りに従四位上に昇叙され、翌貞観3年(861年)下野権守に任ぜられると、越中守・伊勢守と清和朝では主に地方官を務めた。
陽成朝に入ると、右京大夫兼山城権守に任ぜられるとともに、元慶3年(879年)正四位下、元慶8年(884年)従三位と累進し公卿に列している。元慶9年(885年)刑部卿。
仁和3年(887年)石清水八幡大菩薩宮への奉幣使となるが、東京四条にて落馬して肢体を負傷したために、神宮まで辿り着くことができなかったという[1]。没年は明らかでないが、『公卿補任』への掲載が仁和3年(887年)までであり、この頃没したか。
官歴
編集注記のないものは『六国史』による。
脚注
編集- ^ 『日本三代実録』仁和3年4月7日条