垂井駅
岐阜県不破郡垂井町にある東海旅客鉄道の駅
垂井駅(たるいえき)は、岐阜県不破郡垂井町にある、東海旅客鉄道(JR東海)東海道本線の駅である。駅番号はCA78[5]。
垂井駅 | |
---|---|
南口(2022年11月) | |
たるい Tarui | |
(5.7 km) 関ケ原 CA79► | |
所在地 | 岐阜県不破郡垂井町1682-4 |
駅番号 | CA 78 [5] |
所属事業者 | 東海旅客鉄道(JR東海) |
所属路線 | ■東海道本線(上り本線・下り本線〔垂井線〕)[1][2][注釈 1][注釈 2] |
キロ程 | 418.1 km(東京起点) |
電報略号 | タル |
駅構造 | 地上駅(橋上駅)[6] |
ホーム | 2面3線 |
乗車人員 -統計年度- |
1,899人/日(降車客含まず) -2020年- |
開業年月日 | 1884年(明治17年)5月25日[5][7] |
備考 | |
運行形態の詳細は「東海道線 (名古屋地区)」を参照。なお、ダイヤは後述する。
歴史
編集- 1884年(明治17年)5月25日:国有鉄道の大垣駅 - 関ケ原駅の開業に伴い[10]、駅開業[5][7]。一般駅。
- 1889年(明治22年)7月1日:下りホームを新設。
- 1895年(明治28年)4月1日:線路名称制定。東海道線(1909年に東海道本線に改称)の所属となる[10]。
- 1901年(明治34年)8月23日:大垣駅 ‐ 当駅間が複線化。
- 1902年(明治35年)2月10日:当駅 ‐ 関ケ原駅間が複線化。
- 1919年(大正8年)7月29日:当駅構内の相川橋梁で列車衝突事故が起こる。
- 1941年(昭和16年)3月:東側にあった跨線橋を西側へ移動。
- 1944年(昭和19年)10月11日:当駅北側に迂回線(通称:新垂井線)が完成に伴い新垂井駅開業[4][11]。当駅を通る下り本線は撤去され、上り列車のみの営業となる[4][12]。補助機関車を廃止。当駅 - 新垂井駅間は省営バス(後の国鉄バス)府中線が走る[13][14]。
- 1946年(昭和21年)11月1日:下り本線が復活、下り列車の停車が再開[4][13][注釈 3]。
- 1965年(昭和40年)10月:2代目駅舎が落成[15]。
- 1971年(昭和46年)10月4日:貨物の取り扱いを廃止。
- 1984年(昭和59年)2月1日:荷物の取り扱いを廃止。
- 1986年(昭和61年)11月1日:新垂井駅の廃止に伴い[13]、国鉄バス府中線が廃止[4]。
- 1987年(昭和62年)4月1日: 国鉄分割民営化により、東海旅客鉄道(JR東海)の駅となる[16]。
- 1995年(平成7年)3月4日:3代目駅舎が落成(橋上駅舎化[6])[17]。
- 2000年(平成12年)2月16日:降雪により立ち往生した下り普通列車を救援するために向かった重連のディーゼル機関車(JR貨物)が当駅の安全側線に突っ込み脱線。事故から約20時間後に復旧。
- 2002年(平成14年)11月12日:自動改札機設置[要出典]。
- 2003年(平成15年)4月16日:北口駅前広場(ロータリー、歩道、駐輪場)の整備が完了。これにより以前から進められていた一連の駅周辺整備事業が完成[18]。
- 2006年(平成18年)11月25日:ICカード「TOICA」の利用が可能となる。
- 2010年(平成22年) 2月13日:上下線ホームにエレベーター設置。駅構内に多目的トイレ設置[19]。
- 2016年(平成28年)3月26日:ダイヤ改正に伴い、京都・大阪方面に直通する普通列車の運用及び「ホームライナー関ケ原」の運転区間縮小により当駅に停車する運用が廃止[20][21]。
- 2018年(平成30年)3月:駅ナンバリングが導入。
- 2019年(令和元年)8月21日:自動改札機が更新され、新たにICカード専用改札機が設置[要出典]。
- 2024年(令和6年)
- 1月31日:JR全線きっぷうりばの営業を終了[22]。
- 2月1日:サポートつき指定席券売機の設置[8][9]とともに、お客様サポートサービス導入に伴い無人化[8][9]。
駅構造
編集構内北側に単式ホーム1面1線[23]と南側に島式ホーム1面2線[23]、合計2面3線のホームを有する地上駅である[7]。島式ホーム側は上下両方向の発車・到着が可能である[23]。橋上駅舎を備え[6]、南北に駅前広場をもつ。また、北口の広場には竹中半兵衛の銅像が鎮座している[24][25]。
お客様サポートサービスを導入している無人駅であり[8][9]、大垣駅が管理している[要出典]。2024年1月末までは有人駅であった。なお、当駅には自動券売機・サポートつき指定席券売機[8][9]・自動改札機などがあり、TOICA及び相互利用可能なICカードの利用が可能である。
のりば
編集番線 | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 東海道本線(上り本線) | 上り | 名古屋方面[26][注釈 4] | |
2 | 東海道本線(下り本線) 〔垂井線〕[注釈 2] |
下り(上り) | 米原方面[26][注釈 4] | 関ケ原駅始発列車のみ発着[27] |
3 | 下り | 米原方面行き列車のみ発着[28] |
- 備考
- 駅前広場から改札までは南口、北口ともにエレベーターと上りエスカレーターを1基ずつ備える。改札から各ホームまではエレベーターがそれぞれ1基あり、2・3番線には上りエスカレーターが1基設置されている。そのため駅前広場と各ホーム間は自由通路を含め、バリアフリーに対応している。
-
改札口(2022年11月)
-
ホーム(2022年11月)
ダイヤ
編集普通は全て大垣発着であるが、快速系統の各列車は岐阜・名古屋方面へ直通する。
- 日中時間帯
- 米原 - 大垣を運行する普通が、上下線とも1時間当たり2本停車する。
- 朝
- 夕方以降
- 米原発着の特別快速・新快速・快速が運行される。なお、晩は米原行きの区間快速も運行される。
利用状況
編集「垂井町史」、「岐阜県統計書」、「垂井町勢要覧」によると、各年度の1日平均乗車人員は以下の通りである。大垣駅 - 米原駅の途中にある駅では最も利用客が多い。
年度別1日平均乗車人員(1884年 - 1911年)
編集年度 | 1日平均 乗車人員 |
---|---|
1884年(明治17年) | 24 |
1885年(明治18年) | 14 |
1886年(明治19年) | 11 |
1887年(明治20年) | 25 |
1888年(明治21年) | 47 |
1889年(明治22年) | 54 |
1890年(明治23年) | 62 |
1891年(明治24年) | 65 |
1902年(明治35年) | 151 |
1903年(明治36年) | 140 |
1904年(明治37年) | 107 |
1905年(明治38年) | 121 |
1906年(明治39年) | 129 |
1907年(明治40年) | 154 |
1908年(明治41年) | 161 |
1909年(明治42年) | 167 |
1910年(明治43年) | 175 |
1911年(明治44年) | 207 |
年度別1日平均乗車人員(1912年 - 1925年)
編集年度 | 1日平均 乗車人員 |
---|---|
1912年(大正元年) | 249 |
1913年(大正2年) | 265 |
1914年(大正3年) | 298 |
1915年(大正4年) | 260 |
1916年(大正5年) | 263 |
1917年(大正6年) | 294 |
1918年(大正7年) | 366 |
1919年(大正8年) | 394 |
1920年(大正9年) | 434 |
1921年(大正10年) | 455 |
1922年(大正11年) | 453 |
1923年(大正12年) | 525 |
1924年(大正13年) | 538 |
1925年(大正14年) | 614 |
年度別1日平均乗車人員(1926年 - 1988年)
編集年度 | 1日平均 乗車人員 |
---|---|
1926年(昭和元年) | 610 |
1927年(昭和2年) | 634 |
1928年(昭和3年) | 658 |
1929年(昭和4年) | 659 |
1930年(昭和5年) | 645 |
1931年(昭和6年) | 589 |
1932年(昭和7年) | 574 |
1933年(昭和8年) | 583 |
1934年(昭和9年) | 636 |
1935年(昭和10年) | 689 |
1936年(昭和11年) | 733 |
1937年(昭和12年) | 902 |
1938年(昭和13年) | 918 |
1939年(昭和14年) | 1,045 |
1940年(昭和15年) | 1,148 |
1941年(昭和16年) | 1,406 |
1942年(昭和17年) | 1,462 |
1943年(昭和18年) | 1,951 |
1944年(昭和19年) | 1,662 |
1945年(昭和20年) | 1,496 |
1946年(昭和21年) | 1,280 |
1947年(昭和22年) | 1,892 |
1955年(昭和30年) | 2,246 |
1956年(昭和31年) | 2,460 |
1957年(昭和32年) | 2,652 |
1960年(昭和35年) | 3,182 |
1961年(昭和36年) | 3,222 |
1962年(昭和37年) | 3,442 |
1965年(昭和40年) | 4,099 |
1970年(昭和45年) | 3,402 |
1975年(昭和50年) | 3,348 |
1980年(昭和55年) | 3,224 |
1984年(昭和59年) | 2,927 |
1988年(昭和63年) | 2,862 |
年度別1日平均乗車人員(1989年以降)
編集年度 | 1日平均 乗車人員 |
---|---|
1989年(平成元年) | 2,880 |
1990年(平成2年) | 2,951 |
1991年(平成3年) | 3,125 |
1998年(平成10年) | 2,949 |
1999年(平成11年) | 2,930 |
2000年(平成12年) | 2,889 |
2001年(平成13年) | 2,784 |
2002年(平成14年) | 2,715 |
2003年(平成15年) | 2,704 |
2004年(平成16年) | 2,710 |
2005年(平成17年) | 2,677 |
2006年(平成18年) | 2,800 |
2007年(平成19年) | 2,621 |
2008年(平成20年) | 2,763 |
2009年(平成21年) | 2,669 |
2010年(平成22年) | 2,682 |
2011年(平成23年) | 2,666 |
2012年(平成24年) | 2,544 |
2013年(平成25年) | 2,600 |
2014年(平成26年) | 2,520 |
2015年(平成27年) | 2,599 |
2016年(平成28年) | 2,642 |
2017年(平成29年) | 2,655 |
2018年(平成30年) | 2,621 |
2019年(令和元年) | 2,623 |
2020年(令和2年) | 1,899 |
駅周辺
編集- 南口側を中心にコインパーキングや月極駐車場が分布している。
- 平成期に構内のキヨスクが撤退した。最寄りのコンビニは南口から500メートルほど離れている。また、最寄りのスーパーマーケットは北口から100メートルの場所にある。なお、キヨスク跡地には飲料・惣菜・アイスクリームの自販機が設置されている[要出典]。
北口
編集南口
編集バス路線
編集- 北口
- 南口
隣の駅
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b 監修者 国土交通省鉄道局「東海旅客鉄道株式会社」『鉄道要覧』 各年度、電気車研究会・鉄道図書刊行会、東海道線掲載頁頁。
- ^ a b (監修)今尾恵介 著「駅名一覧 東海 東海道本線(3)沿線 JR東海道本線(3)豊橋~米原」、日本鉄道旅行地図帳編集部(編集) 編『日本鉄道旅行地図帳 全線・全駅・全廃線』 7号東海、新潮社〈新潮「旅」ムック〉、2008年11月19日、35 - 36頁。ISBN 978-4-10-790025-8。
- ^ 日本国有鉄道 謹呈「線名索引 東海道線」『時刻表 全国ダイヤ改正号』 秋号 1980、日本国有鉄道、432頁。
- ^ a b c d e f 松本典久、池口英司「東海道本線 名古屋~神戸 223.5km」『鉄道ファン2008年1月号 特集:東海道本線2』第48巻第1号(通巻561号)、交友社、2008年1月1日、15 - 16頁。
- ^ a b c d 結解 2020, p. 141.
- ^ a b c “駅すてーしょん 垂井(東海道線)”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 2. (1995年5月15日)
- ^ a b c 川島 2009, p. 43.
- ^ a b c d e f 『東海道本線(名古屋駅~米原駅間)・中央本線(勝川駅)への「お客様サポートサービス」の提供開始日について』(PDF)(プレスリリース)東海旅客鉄道、2023年12月1日 。2023年12月1日閲覧。
- ^ a b c d e f 『【社長会見】東海道本線(名古屋駅~米原駅間)・中央本線(勝川駅)へのお客様サポートサービス(旧「集中旅客サービスシステム」)の導入について』(PDF)(プレスリリース)東海旅客鉄道、2023年1月18日。オリジナルの2023年1月18日時点におけるアーカイブ 。2023年1月18日閲覧。
- ^ a b 結解 2020, p. 132.
- ^ 結解 2020, p. 98.
- ^ 結解 2020, p. 98-99.
- ^ a b c 結解 2020, p. 99.
- ^ 「運輸省告示第489・490号」『官報』1944年10月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 名局建築課「垂井駅本屋」『鉄道建築ニュース』1966年7月号(通巻199)、鉄道建築協会、1966年7月1日、32-33頁。
- ^ 結解 2020, p. 133.
- ^ 「JR年表」『JR気動車客車編成表 '95年版』ジェー・アール・アール、1995年7月1日、188頁。ISBN 4-88283-116-3。
- ^ 「JR垂井駅北口の「駅北広場」完成 しゅん工式に 園児らが祝う」『中日新聞』中日新聞社、2003年4月17日、朝刊/西濃版、16面。
- ^ "東海道本線 垂井駅、清洲駅エレベーター等使用開始について" (Press release). 東海旅客鉄道. 12 February 2010. 2022年12月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年9月10日閲覧。
- ^ 『平成28年春ダイヤ改正について』(PDF)(プレスリリース)西日本旅客鉄道近畿統括本部、2015年12月18日。オリジナルの2015年12月22日時点におけるアーカイブ 。2022年2月21日閲覧。
- ^ 『平成28年3月ダイヤ改正について』(PDF)(プレスリリース)東海旅客鉄道、2015年12月18日、10頁。オリジナルの2016年2月11日時点におけるアーカイブ 。2022年2月21日閲覧。
- ^ JR時刻表2024年2月号及びJTB時刻表2024年2月号
- ^ a b c 川島 2009, p. 21.
- ^ ぎふの旅ガイド 竹中半兵衛公の像と垂井町観光案内所 - 岐阜県観光連盟
- ^ “垂井~新垂井跡 秘密兵器「えけい号」で出陣じゃ~”. 日刊スポーツ (2020年4月23日). 2020年4月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月21日閲覧。
- ^ a b “垂井駅 Tarui 駅構内図”. JR東海HP 主な駅のご案内. 東海旅客鉄道. 2021年5月6日閲覧。
- ^ “垂井駅 東海道線時刻表 大垣・名古屋方面” (PDF). 東海旅客鉄道 (2021年3月). 2021年5月6日閲覧。
- ^ “垂井駅 東海道線時刻表 米原・京都方面” (PDF). 東海旅客鉄道 (2021年3月). 2021年5月6日閲覧。
- ^ a b “中部地区のコミュニティバス運行状況 岐阜県” (PDF). 国土交通省 中部運輸局自動車交通部旅客第一課. p. 3 (2020年2月1日). 2021年5月6日閲覧。
- ^ “不破高校スクール線(平日) 往路” (PDF). 名阪近鉄バス (2019年10月1日). 2021年5月6日閲覧。
- ^ “中部地区のコミュニティバス運行状況 岐阜県” (PDF). 国土交通省 中部運輸局自動車交通部旅客第一課. p. 4 (2020年2月1日). 2021年5月6日閲覧。
参考文献
編集- 監修者 国土交通省鉄道局「東海旅客鉄道株式会社」『鉄道要覧』 各年度、電気車研究会・鉄道図書刊行会、東海道線掲載頁頁。
- 『鉄道ピクトリアル2013年3月号 【特集】東海道本線(Ⅱ)』第63巻第3号(通巻第873号)、電気車研究会、2013年3月1日。
- 今田保「東海道本線 歴史の趣味 名古屋-神戸間」p.11
- 「関ケ原越えのいまむかし」pp.54 - 56
- 三宅俊彦「関ヶ原越えを辿る」pp.57 - 62
- 祖田圭介「東海道沿線の駅構内の今昔 名古屋-神戸」pp.67 - 68
- 松本典久、池口英司「東海道本線 名古屋~神戸 223.5km」『鉄道ファン2008年1月号 特集:東海道本線2』第48巻第1号(通巻561号)、交友社、2008年1月1日、15 - 16頁。
- 日本国有鉄道 謹呈「線名索引 東海道線」『時刻表 全国ダイヤ改正号』 秋号 1980、日本国有鉄道、432頁。
- (監修)今尾恵介 著「駅名一覧 東海 東海道本線(3)沿線 JR東海道本線(3)豊橋~米原」、日本鉄道旅行地図帳編集部(編集) 編『日本鉄道旅行地図帳 全線・全駅・全廃線』 7号東海、新潮社〈新潮「旅」ムック〉、2008年11月19日、35 - 36頁。ISBN 978-4-10-790025-8。
- 川島令三『【図説】日本の鉄道 東海道ライン 全線・全駅・全配線 第5巻 名古屋駅 - 米原エリア』講談社、2009年7月20日。ISBN 978-4-06-270015-3。
- 結解善幸『DJ鉄ぶらブックス 031 路線百科 東海道本線』交通新聞社、2020年10月30日。ISBN 978-4-330-08020-8。
関連項目
編集- 日本の鉄道駅一覧
- ミステリー列車が消えた - 当駅および垂井駅が登場する西村京太郎の推理小説。
- 東海道線 (名古屋地区)
外部リンク
編集- 垂井駅 - 東海旅客鉄道