坂元蔵之允
日本の政治家
坂元 蔵之允(さかもと くらのじょう、1864年8月31日(元治元年7月30日)[1][注 1] - 1931年(昭和6年)1月13日[2])は、日本の政治家。実業家。
経歴・人物
編集仙台中教院に学ぶ[2][3]。宮城県に出仕し、刈田郡長、仙台市助役、柴田郡長などを歴任する[2][3]。その後実業界に転じ、内国生命仙台支店長[2]、宮城県農工銀行取締役支配人[2]、仙台鉄道、宮城株式会社などを創立し、社長となる[2]。
1915年(大正4年)仙台市会から市長に推挙されたが、固辞し、就任しなかった[2][3][4]。仙台市会議員となり、議長を務めた[2][3]。1931年(昭和6年)在任中に死去した[2][3]。
このほか各組合の理事長、組合長を務めた[2]。