国本村
日本の栃木県河内郡にあった村
国本村(くにもとむら)は栃木県の中部、河内郡に属していた村である。
くにもとむら 国本村 | |
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栗谷沢ダム湖(1955年頃) | |
廃止日 | 1954年11月1日 |
廃止理由 |
編入合併 国本村、豊郷村、城山村、富屋村、篠井村の一部 → 宇都宮市 |
現在の自治体 | 宇都宮市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 栃木県 |
郡 | 河内郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 31.19[1] km2. |
総人口 |
12,257人 (1950年) |
隣接自治体 | 宇都宮市、河内郡豊郷村、城山村、富屋村、篠井村、大沢村 |
国本村役場 | |
所在地 | 栃木県河内郡国本村大字宝木 |
座標 | 北緯36度35分13秒 東経139度51分40秒 / 北緯36.58694度 東経139.86108度座標: 北緯36度35分13秒 東経139度51分40秒 / 北緯36.58694度 東経139.86108度 |
ウィキプロジェクト |
地理
編集歴史
編集- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、宝木村、戸祭村上組、野沢村、岩原村、新里村が合併し河内郡国本村が成立する。
- 1952年(昭和27年)6月1日 - 宝木、戸祭の各一部が宇都宮市へ編入される。
- 1954年(昭和29年)11月1日 - 豊郷村、城山村、富屋村、篠井村の一部とともに宇都宮市へ編入され消滅。
陸軍の進出と都市化
編集1907年(明治40年)、大日本帝国陸軍第14師団が宇都宮に置かれることが決まると、村内の宝木に兵舎や練兵場が整備され、1908年(明治41年)に歩兵第66連隊、1909年(明治42年)に歩兵第59連隊が相次いで着営した[1]。第66連隊は一旦、軍備縮小のために廃止され、跡地には栃木県師範学校が移転した[1]。
終戦後は、宇都宮市に隣接する村の南部(大字戸祭 字 寺内・柿塚・野白、大字宝木 字 西岡・山崎・六軒・江黒・細谷)は都市化が進んで商工業に従事する住民の割合が増え、兵舎跡が引揚者等の収容所、練兵場跡が集団開拓者の開拓地となったことで人口は急増した[1]。そこで中学校の増設が必要となったが、村に中学校を新設する余裕はなかったため、付近にあった宇都宮市立の中学校に注目し、1952年(昭和27年)6月1日に村の南部を分離して宇都宮市へ編入することとなった[1]。
村名の由来
編集村内で大きな面積を占める宝木と新里の二派に分かれ、長老らが連夜村名を議論したが互いに譲らず、紛争が発生しそうになった際に、漢学[1]の素養がある新里の皇漢医が「国の基礎(本)となる立派な村」の建設を願って「国本村」としてはどうかと提案し、全会一致で採用された[1]。
教育
編集脚注
編集参考文献
編集- 『栃木県市町村誌』栃木県町村会、1955年8月20日、950頁。 NCID BA34968451。