国晴
江戸時代の大坂の浮世絵師
来歴
編集丸丈斎国広の門人かといわれる。大坂の人で国晴と称す。作画期は嘉永7年(1854年)から安政2年(1855年)にかけてで、役者絵を残している。
作品
編集- 「児雷也(市川猿蔵) 妖童小ぐさ(市川てる代) 妖婦越路(尾上梅幸)」 中判錦絵2枚続 池田文庫所蔵 ※嘉永7年8月、大坂中の芝居『児雷也豪傑譚語』より
- 「望月三左衛門 判官籟員実は児雷也 小性てる代」 中判錦絵 池田文庫所蔵 ※同上
- 「左り甚五郎(六代目市川團蔵) 京人形(嵐璃珏)」 大判2枚続 池田文庫所蔵 ※嘉永7年8月、大坂筑後芝居『彫刻左小刀』より
- 「道具や甚三・市川鶴蔵」 中判錦絵 池田文庫所蔵 ※安政2年頃、大坂稲荷芝居『隅田川続俤』より
- 「天日坊実は宝山・市川鶴蔵事嵐橘太郎」 中判錦絵 池田文庫所蔵 ※安政2年頃、大坂稲荷芝居『吾嬬下五十三駅』より
- 「八ツ代・嵐千鳥」 中判錦絵 池田文庫所蔵 ※安政2年頃、大坂鰻谷芝居『島廻月弓張』より