四宮正貴
四宮 正貴(しのみや まさき、1947年(昭和22年)3月17日[1] - 2021年(令和3年)4月4日[2])は、日本の右翼、作家、評論家。「四宮政治文化研究所」主宰。
来歴・人物
編集東京都文京区出身。1969年(昭和44年)二松学舎大学文学部国文学科卒[3]。1969年4月から7年間、二松学舎大学付属図書館で司書として勤務し、国文学科研究室助手を兼務[3]。1972年(昭和47年)5月、鈴木邦男や阿部勉、犬塚博英らと新右翼団体「一水会」を創設[4]。1976年(昭和51年)から新聞記者・フリーライターに転身し、1982年(昭和57年)に「四宮政治文化研究所」を設立、1984年(昭和59年)から月刊誌『政治文化情報』を刊行[3]。2010年(平成22年)3月から季刊『伝統と革新』をたちばな出版で発行。
朝まで生テレビ(2004年6月25日放送分「徹底討論! 皇室とニッポン!」)で、討論中に田原総一朗から「聖徳太子知らない?」と質問されたことに逆上し、「当たり前でしょ、そんなこと!!!」「そんな無礼な質問があるか!!」「聖徳太子を知らないのかとは何ということだ!」「じゃあイエス・キリストを知っているかと聞かれたらどうするんだ!」などと語気を強めて反論したが、田原からは「そういうこと言うから、あなた人格破綻だと言われるんだよ」と言われ、「人格破綻は君だよ!」と反発した。この放送の翌日以降、四宮のウェブサイトには1万を超えるアクセスがあり[5]、四宮によれば「多くの方々から御激励、御賛同、御批判、御忠告などを頂いた」という[5]。
万葉集の研究をライフワークとし[3]、自身でも短歌を詠む[6]。
2021年(令和3年)4月4日、脳溢血のため東京都内の自宅マンションにて死去した[7]。74歳没。四宮政治文化研究所のブログ更新は死去前日の同年4月3日の記事が最後になっている[8]。 責任編集の季刊『伝統と革新』は、2021年5月発行の第38号で終刊となった。
著書
編集- 天皇国日本論(展転社、1986年、ISBN 4886560202)
- 日本的文藝論(国書刊行会、1987年、ISBN 4336020337)
- 創価学会を撃つ!!(展転社、1988年、ISBN 4886560431)
- 天皇・祭祀・維新(全貌社、1990年、ISBN 4793801269)
- 平成維新試論(エスエル出版会、1992年、ISBN 4846300021)
- 偉大なる池田大作先生を讃えるの書(エスエル出版会、1993年、ISBN 4846300072)
- 歴史と詩歌の旅を行く(展転社、1995年、ISBN 4886561144)
- 初心者にもわかる百人一首(メディアックス、2013年、ISBN 4862014542)※分担執筆
テレビ出演
編集脚注
編集- ^ 四宮正貴 (2015年3月18日). “千駄木庵日乗三月十七日:四宮政治文化研究所”. 2016年9月23日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “訃報 四宮正貴先生が逝く”. しんぶん国民. 2021年4月7日閲覧。
- ^ a b c d 四宮正貴. “四宮政治文化研究所/プロフィール”. 2012年6月6日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 鈴木邦男 『新右翼 : 民族派の歴史と現在』 (改訂増補版) 彩流社、2005年、46頁。ISBN 4882029898。
- ^ a b c 四宮正貴 (2004年). “四宮政治文化研究所/朝まで生テレビ出演(平成16年6月25日)”. 2012年6月6日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 四宮正貴. “四宮政治文化研究所/名歌鑑賞・短歌作品”. 2012年6月7日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “訃報 四宮正貴先生が逝く”. 一介の素浪人. 2021年4月7日閲覧。
- ^ “桜の花とやまと歌の心”. 四宮政治文化研究所 ブログ (2021年4月3日). 2021年4月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月14日閲覧。
- ^ 全国朝日放送/編『激論!日本の右翼 朝まで生テレビ! 』1990年6月1日 全国朝日放送/刊 ISBN 4881311549
- ^ テレビ朝日 朝まで生テレビ!. “朝生program(2002年)11月のテーマ・パネリスト”. 2012年6月7日閲覧。
- ^ 四宮正貴 (2002年). “四宮政治文化研究所/朝まで生テレビ出演(平成14年11月29日)”. 2012年6月6日閲覧。[リンク切れ]
- ^ テレビ朝日 朝まで生テレビ!. “朝生program(2004年)6月のテーマ・パネリスト”. 2012年6月3日閲覧。