和泉友子
和泉 友子(いずみ ともこ 1962年1月17日[1][2] - )は、1980年代前半期に活躍した日本の元タレント、歌手。東京都世田谷区出身[3][4](「大田区生まれ」の情報もあり[1])。過去の所属事務所は渡辺プロダクション[5]。本名:清瀬 啓子(きよせ ひろこ)[1][2]。
プロフィール | |
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本名 | 清瀬 啓子(きよせ ひろこ) |
生年月日 | 1962年1月17日 |
現年齢 | 62歳 |
出身地 | 日本・東京都世田谷区(大田区) |
血液型 | A |
公称サイズ(時期不明) | |
身長/体重 | 163 cm / 49 kg |
BMI | 18.4 |
スリーサイズ | 82 - 60 - 86 cm |
活動 | |
デビュー | 1981年 |
事務所 | 渡辺プロダクション |
レーベル | CBS・ソニー |
主な楽曲 | 「青い水平線」 |
アイドル: テンプレート - カテゴリ |
来歴・人物
編集公表されていたサイズ(1981年当時)は、身長163cm、体重49kg、B82cm、W60cm、H86cm[6][2][1]。血液型A型[1]。
趣味は読書、サーフィン、ジャズダンス、スケートボード、ローラースケート[1]、ミッキーマウスの小物集め(1981年当時)[6]、海辺の散歩(子供の頃から海が好きだったことから)[7]。ウィンドサーフィンもやっていたことがある[8]。特技は器械体操[9]。
9歳の頃から8年間、池上本門寺の合唱団に所属、ソプラノを担当していた[2][4]。中学2年生の時にKISSが好きで大のロックファンだったことからギターを始め[6]、同じ頃に詩を書き始めていた[2]。
東京都立城南高等学校卒業[1][5]。高校生時代はガールズバンドを組んで活動、ギターとリード・ボーカルを担当[2][1]。
子供の頃は保育士か添乗員に憧れていたことがあり[8]、高校3年生の時には自分の進路について悩んでいたこともあったが[8]、そんな時に雑誌でヤマハ・ボーカル・コースのオーディションを見て応募、一度は補欠合格に留まったが、再挑戦を試みて合格[8][3]してデビューのきっかけをつかむ。作詞家の片桐和子のもとでレッスンを積み[8]、1981年6月21日発売のシングル『青い水平線』(CBS・ソニー)で歌手デビュー。同年には、ほぼ同期で同じ事務所に所属していた速水陽子、若杉ひと美、沢田富美子と共に「ナベプロ四人娘」としても売り出された。デビューした1981年には、第7回日本テレビ音楽祭で新人賞候補、第14回新宿音楽祭銅賞、第12回日本歌謡大賞新人祭りにて優秀新人に当選と、賞レースに多くノミネートされた。
丸顔に大きな目から、レッスンを受けてもらった片桐和子に「日向ぼっこのコアラ」と言われるようになり[8]、そこから「コアラちゃん」のニックネームが付いた[6]。
1983年7月に渡辺プロ系列の事務所「クマ・スタジオ」に移籍[10]。それ以降は目立った活動も無くなり、実質引退状態になったが、その後、ケイエスクリエイトから発売されたCD『不滅のテレビアニメ主題歌集 ~草原のマルコ・よあけのみち~』にて、『デリケートに好きして』(『魔法の天使クリィミーマミ』主題歌、オリジナル歌唱:太田貴子)をカバーして歌い、これに同曲が収録されている。
ディスコグラフィー
編集シングル
編集発売日 | レーベル | 規格品番 | 面 | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 |
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1981年6月21日 | CBS・ソニー | EP:07SH1005 | A | 青い水平線 | 片桐和子 | 穂口雄右 | |
B | 秋の気配 | ||||||
1981年10月21日 | EP:07SH1068 | A | 街角ロンリネス | 竜真知子 | |||
B | よそ見しないで | 片桐和子 |
- 『青い水平線』は、オムニバスCD『フラワー・ポップスvol.2』(2000年11月5日発売、発売・販売元:新星堂)に収録されCD化されている。
- 『街角ロンリネス』は、オムニバスCD『フラワー・ポップス・シリーズ5 幻のビューティー・アイドル』(2001年11月10日発売、発売・販売元:新星堂)に収録されCD化されている。
アルバム
編集レーベル | 規格 | 規格品番 | アルバム | 備考 |
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アポロン | カセットテープ | SZ-5287 | きみに声かけたくて
A面
B面 |
カセットテープのみ発売。本人のメッセージ付。歌詞カードは本人直筆による。 |
出演
編集テレビ
編集- クイズ・ドレミファドン! (フジテレビ レギュラーアシスタント)
- 8時だョ!全員集合 (TBS)
- 新春水上大運動会 (TBS)
- 歌謡ドッキリ大放送!! (テレビ朝日)
- 世界おもしろネットワーク (テレビ東京)- キャスターとしてレギュラー出演[9]
- 他
ラジオ
編集- 真夜中ギンギラ大放送 (ラジオ関西)
- 木曜深夜出演。出演は1983年6月23日まで。次の6月30日放送分のための取材をしていたが、その後家に帰ってから電話で「(番組が)終わった」ことを知らされ(この番組自体は1983年7月以降も継続して1984年9月まで放送)、お別れの言葉も言えないまま交替させられたことで本人は「きつねにつままれたようで、ショックよりも、何でかなというのが先に立っちゃって」と話している[10](この詳細については真夜中ギンギラ大放送#1983年7月の一部パーソナリティ交替劇の節も参照)。
映画
編集- アゲインスト むかい風 (1981年11月28日公開、東映セントラルフィルム)- 松永美津子 役
CM
編集連載
編集脚注
編集出典
編集- ^ a b c d e f g h 週刊少年マガジン 1981年8月19日号 巻頭カラー特集(p.3 - 7)
- ^ a b c d e f セブンティーン 1981年6月30日号 p.24
- ^ a b GORO 1981年6月25日号 p.208「ニューアイドルにアタック」
- ^ a b c 月刊カメラマン(モーターマガジン社)1981年8月号 p.26 - 29「フォトローグ 和泉友子」
- ^ a b DERUXEプレイボーイ 1981年12月号内のグラビアページより。
- ^ a b c d 週刊明星 1981年7月30日号 最後のページ「Hope」より。
- ^ GORO 1981年10月8日号 p.106 - 109 グラビアページ
- ^ a b c d e f 月刊ラジオマガジン 1981年9月号「気になるあの人!この話!」(p.8 - 9)
- ^ a b 「ニュー・タレント/藤川清彦、和泉友子、二科恵子ほか」『映画情報』第46巻第12号、国際情報社、1981年12月1日、31頁、NDLJP:2343773/31。
- ^ a b ラジオマガジン(モーターマガジン社)1983年9月号 p.40 - 43「真相究明 1983年6月30日 サヨナラも言えなかった… ラジオ関西『真夜中ギンギラ大放送』リスナー不在のパーソナリティ交替劇」