呉昌熾
ベトナム呉朝5代王 呉使君
呉 昌熾(ご しょうし、ゴ・スオン・シー、ベトナム語:Ngô Xương Xí / 吳昌熾、生没年不詳)は、ベトナム呉朝の第4代君主。十二使君の一人。呉使君(ベトナム語: Ngô Sứ Quân)とも称された。
呉昌熾 | |
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各種表記 | |
漢字・チュノム: | 呉昌熾 |
北部発音: | ゴ・スオン・シー |
日本語読み: | ご しょうし |
生涯
編集天策王呉昌岌の子として南冊江(現在のハイズオン省)に生まれる。965年に叔父の南晋王呉昌文が戦死すると、翌年に平橋(現在のタインホア省チェウソン県)を拠点として使君を称した。しかし各地の使君は自立して、呉昌熾の命には従わなくなっていた。勢力を増した華閭の丁部領から宴会に招かれ、脅されて屈服した。
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