君島八郎
君島 八郎(きみしま はちろう、1876年(明治9年)12月28日 - 1955年(昭和30年)10月14日)は、日本の土木工学者。工学博士、九州帝国大学教授。日本における道路研究の先駆者[1]であり、その著書『君島大測量学』と『河海工学』は戦前土木名著100書に選ばれている[2]。
君島 八郎 | |
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生誕 |
1876年12月28日 福島県若松町 |
死没 |
1955年10月14日(78歳没) 福岡県箱崎町 |
出身校 | 東京帝国大学工学部 |
職業 | 九州帝国大学工学部長 |
生涯
編集福島県若松町諏訪町四谷の旧会津藩士君島勝平の次男として生まれる。1895年(明治28年)会津中学を一回生として卒業する[* 1]。松江春次、森俊六郎、平石弁蔵らが同級生で、特選生として野口英世が通学しており、のちに留学先で再会[3]している。二高第二部工科を首席[4]で、1901年(明治34年)には東京帝国大学を19名中首席で卒業した[5]。
大学院在学中に『道路学一斑』を著し、母校の講師や助教授、独国、仏国、米国での留学[3]を経て、1911年(明治44年)、新設された九州帝国大学の工学部教授に就任。大学では河川工学や港湾工学を担当し、1929年(昭和4年)には工学部長に選任された。1935年(昭和10年)に退官し、名誉教授の称号を授与されている[6]。
大学外においては北九州各市の顧問として都市計画、上下水道や港湾建設に貢献[6]。1950年(昭和30年)には土木学会名誉員に選ばれた。著書の『君島測量学』、『君島大測量学』は当時の日本測量技術者の必備の書であった[6]。会津会会員[7]。
- 著書など
- 『道路学一斑』博文館、1902年
- 『測量学』丸善、1909年
- 『君島測量学』丸善、1921年
- 『河海工学 第一編』丸善、1922年
- 『河海工学 第二編』丸善、1922年
- 『河海工学 第三編』丸善、1922年
- 『河海工学 第四編』丸善、1922年
- 『君島大測量学 (上)』丸善、1925年
- 『君島大測量学 (下)』丸善、1925年
- 『Balancing a Survey, when the Error of Closure is due to Linear Measurement only』工学会誌 第26輯
- 『Bestimmung der Wassermengenkurve』工学会誌 第28輯
栄典
編集脚注
編集- 注釈
- ^ 君島は入学から卒業まで首席を通し、二高には無試験合格である(塩谷七重郎『松江春次伝』歴史春秋社、56頁)。同期の森俊六郎は二高第一部法科の首席卒業生であった。
- 出典
- ^ “小林丈一 文献でみる日本における街路樹の受容と展開” (PDF). 東北公益文科大学総合研究論集17. 2012年7月18日閲覧。
- ^ “戦前土木名著100書”. 土木学会付属土木図書館. 2012年7月18日閲覧。
- ^ a b “みんゆうNet”. 2012年7月18日閲覧。
- ^ 『第二高等学校一覧 自大正11年至12年』184頁
- ^ 東京帝国大学『東京帝国大学卒業生氏名録』、1926年
- ^ a b c “故 名誉員 工学博士 君島八郎君略歴” (PDF). 土木学会会誌. 2012年7月18日閲覧。
- ^ 『会津会雑誌第61号』1937年
- ^ 『官報』第1317号「叙任及辞令」1931年5月23日。
参考文献
編集- 『故 名誉員 工学博士 君島八郎君略歴』土木学会会誌
- 『福島県立会津高等学校創立70周年記念誌』、1960年
外部リンク
編集- 九州大学大学院 地盤工学研究室
- 第852号 5.3.15 台湾油田調査報告送付の件(防衛省防衛研究所 海軍省-公文備考-S5-101-4037 Ref C05021247900)