向ヶ丘遊園
向ヶ丘遊園(むこうがおかゆうえん)は、神奈川県川崎市多摩区長尾2丁目8-1で1927年(昭和2年)から2002年(平成14年)まで営業していた小田急電鉄系の遊園地。
遊園地は閉園したものの、小田急小田原線の駅名「向ヶ丘遊園駅」や、近隣の店舗名やビル名などに名残が多々見られる。また遊園内にあった「ばら苑」は川崎市が「生田緑地 ばら苑」として管理を継承している。向ヶ丘遊園駅から遊園地までは小田急向ヶ丘遊園モノレール線で結ばれていた。(向ケ丘遊園駅はあくまで運営母体の小田急にとっての「玄関口」であり、モノレールがない時代の距離が最も近い最寄り駅は南武線宿河原駅であった[1]。)
歴史
編集- 1927年(昭和2年)4月1日 - 小田原急行鉄道小田原線(現在の小田急小田原線)の開通と同時に開業する。当時は入園無料。
- 1927年(昭和2年)6月14日、最寄り駅の稲田登戸駅(現在の向ヶ丘遊園駅)から豆汽車が運行される(その後、戦争により撤去)。
- 1941年(昭和16年) - 近衛騎兵聨隊の駐屯地となる[2]
- 1945年(昭和20年) - 陸軍より用地返還
- 1950年(昭和25年)3月25日 - 向ヶ丘遊園駅からの豆汽車が豆電車として復活。
- 1951年(昭和26年)7月28日 - 空中ケーブルカーを設置(正門 - 園内中央)。
- 1952年(昭和27年)4月1日 - 有料化を実施。
- 1955年(昭和30年) - ボート池完成[3]
- 1958年(昭和33年)5月23日 - ばら苑開園。当時は東洋一の規模と評された。
- 1962年(昭和37年) - 「防衛大博覧会」開催。地形を一変させるほどの大規模な土木工事を実施[4]
- 1963年(昭和38年) - フラワーショー開始。以後、花に関係する各種イベントを継続して行う。花の大階段新設[5]
- 1965年(昭和40年)秋 - 沿線道路の拡張により、豆電車が撤去される。
- 1966年(昭和41年)4月23日 - 豆電車に代わり、向ヶ丘遊園モノレールが運行開始(向ヶ丘遊園駅 - 向ヶ丘遊園正門駅間)。
- 1967年(昭和42年)12月14日 - 空中ケーブルカー廃止。
- 1968年(昭和43年)3月15日 - 全長123 mの1人乗りフラワーリフトを設置。
- 1976年(昭和51年) - 大観覧車を設置。
- 1980年(昭和55年) - 宙返りコースター「スカイハリケーン」を設置。
- 1985年(昭和60年) - ローラーコースターとウォーターライドが融合したアトラクション「アドベンチャーコースター」を設置。
- 1986年(昭和61年) - 開園60周年に合わせた園内の整備・拡張の一環で「メルヘンタワー」「フライング・スインガー」「ロックンロール」「スピンカー」「メリーフラワー」を設置[6]。
- 1986年(昭和61年)5月19日 - フラワーリフト廃止。
- 1987年(昭和62年)2月5日 - 全長47mの屋外型エスカレーター「フラワーエスカー」を設置。
- 1992年(平成4年) - スーパーローラーコースター「ディオス」を設置。
- 1997年(平成9年) - 『快獣ブースカ』をテーマとした遊園施設「ブースカランド」を開設する。円谷プロとの協力で実現し、閉園まで存在する。
- 1999年(平成11年)夏頃 - 特撮番組『ブースカ! ブースカ!!』のロケーション撮影が2000年4月頃まで行われる。
- 2000年(平成12年)2月13日 - モノレールの運行を休止。この日より行われた定期検査で、モノレール車両(小田急500形)に老朽化による致命的な損傷が見つかり、運行再開を見合わせる。代替バスの運行を実施。
- 2001年(平成13年)2月1日 - 同日付でモノレールを正式に廃止。
- 2002年(平成14年)3月31日 - 営業終了。
名前の由来
編集向ヶ丘遊園が立地する長尾地区が、開園当時は向丘村(むかおかむら・むかいがおかむら→1938年(昭和13年)に川崎市へ編入)の一角だったために名付けられた。地名は「むかいがおか」と読むが、当園名は「むこうがおか」と読み、現在は後者が定着しつつある。詳しくは向ヶ丘 (川崎市)を参照。
施設概要
編集「花と緑の遊園地」としての特徴を持ち、園内にはばら苑やウメ園・温室・スイセンやツツジの丘など多くの樹木があった。特にソメイヨシノが多数あり、神奈川県有数の花見の名所であった。1987年には本格的な蘭の展覧会も開催された。
また、宙返りコースターやプールなどの遊戯施設、鉄道資料館、運動場や楽焼体験施設、ミニ動物園なども存在していた。
- 主な遊戯施設
- スカイハリケーン(往復式宙返りコースター)
- アドベンチャーコースター(ウォーターコースター)
- ディオス(ローラーコースター)
- キディシャトル(子供向けローラーコースター)
- ウォーターシュート(ウォーターライド)
- サイクルモノレール
- 大観覧車
- ゴーカート
- プール(冬季はアイススケート)
- 手漕ぎボート、スワンボート
- ちんちん電車
跡地利用
編集遊園地の閉園後、市民の要望を受けて川崎市が園内ばら苑の管理を引き継ぎ「生田緑地 ばら苑」として保全している。市民ボランティアがバラの手入れなどを行い、春と秋(主に5月と10月)の開花時季には無料で一般公開を行っている。
小田急電鉄は2007年に、集合住宅を中心とした850戸の住宅開発を発表していたが、採算性の面から計画を白紙撤回していた[7]。
2008年(平成20年)12月には、跡地の一部に川崎市立藤子・F・不二雄ミュージアムの立地が決定[8]。2011年(平成23年)9月3日に開館した。
未開発の跡地内には「花の大階段」をはじめ、敷地の大部分は遊具を撤去した状態で残っているが、2018年に開発構想が再浮上した。
小田急電鉄は2018年11月30日、向ヶ丘遊園の跡地利用について、約162700m2の開発地域に、「自然体験エリア」(約39300m2)「商業施設エリア」(約29900m2)「温浴施設エリア」(約25600m2)の3地区を軸にした計画を発表した[7][9]。12月中に環境影響評価書を提出し、2023年度の完成を目標とする[7]。
2019年3月28日の小田急電鉄ニュースリリースによれば、2023年度までに「人と自然が回復しあう丘」のコンセプトで竣工を目指すとしていた[10]。
2023年3月、川崎市は2019年の水害で休館中の川崎市市民ミュージアムの移転先として、向ヶ丘遊園の跡地(市が小田急電鉄から譲受した区画で、現在はばら苑の臨時駐車場)を選定したと発表した[11]。
脚注
編集- ^ “Google Maps” (日本語). Google Maps. 2024年6月7日閲覧。
- ^ 向ヶ丘遊園の経営史
- ^ 向ヶ丘遊園の経営史
- ^ 向ヶ丘遊園の経営史
- ^ 向ヶ丘遊園の経営史
- ^ 「60周年近づく小田急・向ヶ丘遊園 新機種を導入、園内大改装」『ゲームマシン』(PDF)、第285号(アミューズメント通信社)1986年6月1日、6-7面。
- ^ a b c 【向ヶ丘遊園跡地】商業・温浴 自然と調和した施設 2023年度完成へ タウンニュース多摩区版、2018年12月7日
- ^ (仮称)藤子・F・不二雄ミュージアム 基本構想 川崎市、2008年12月
- ^ “小田急/向ヶ丘遊園の跡地を商業・温浴・自然体験で再開発”. 流通ニュース (2018年12月4日). 2019年3月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月30日閲覧。
- ^ 『4月1日(月) 「ナチュラル・レトロモダン」をコンセプトに向ヶ丘遊園駅をリニューアルオープンします』(PDF)(プレスリリース)小田急電鉄、2019年3月28日。オリジナルの2019年3月29日時点におけるアーカイブ 。2019年3月30日閲覧。
- ^ “台風で浸水の川崎市市民ミュージアム 移転先は多摩区の生田緑地に”. 朝日新聞. (2023年3月12日) 2024年3月3日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 公式ホームページ(インターネットアーカイブ・2000年時点の版)
- 「向ヶ丘遊園」閉園のお知らせ(小田急電鉄ニューリリース・インターネットアーカイブ・2004年時点の版)
- 「向ヶ丘遊園」が3月31日(日)に閉園 3月3日(日)から「さよならイベント」を実施[1](小田急電鉄ニューリリース・インターネットアーカイブ・2004年時点の版)
- 向ヶ丘遊園の跡地利用に関する川崎市との基本合意について(小田急電鉄ニューリリース・インターネットアーカイブ・2004年時点の版)
- 生田緑地ばら苑(旧向ヶ丘遊園ばら苑)
- 生田緑地ホームページ
- 向ヶ丘遊園の会
- 向ヶ丘遊園メモリアル - 個人サイト
- New向ヶ丘遊園メモリアル - 2020年リニューアル版