同立戦(どうりつせん)は、同志社大学立命館大学とのスポーツ対戦のこと。立命館大学サイドでは立同戦(りつどうせん)と呼ばれている。

同立戦
立同戦
チーム 同志社大学
立命館大学

概要

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元々は同志社大学野球部立命館大学野球部との両校硬式野球部の対戦を指すものであったが、これに端を発し、アイスホッケーラグビーアメリカンフットボールなど他のスポーツ対戦にも用いられることが多い[1]

硬式野球の同立戦は、毎年春と秋に、関西学生野球連盟のリーグ戦の最終カードの対抗戦として西京極球場(わかさスタジアム京都)で実施される。試合実況は、立命館大学放送局(RBC) によるUSTREAM およびニコニコ生放送によるテレビ放送もあり、学生のみで運営、放送されている(以前はKBS京都での中継もあり)。

大学野球としては珍しくナイターで開催されることが多い(特に春)。またシーズンになると、京都市内の交通機関などに同立戦を知らせるポスターが掲示される。

関関戦関西大学関西学院大学)と共に、同リーグ戦の「伝統の一戦」として位置づけられている。

立命館・同志社共に戦前から滑空部があるため、福井空港グライダー競技会が行われている[2]

歴史

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この(旧)関西六大学連盟の発足後に関西圏の大学スポーツ界の人気イベントとしての立場が徐々に高まる。の二大私学対決として、同立戦(立同戦)は一般市民にも多くのファンを生む人気カードとして京都市民に親しまれた。

戦後も同立戦は京都名物として人気を博し、関関戦と共に関西圏の学生野球対抗戦として最も有名なカードであった。しかし、60年代前半の関西大学野球連合の成立以降、関学や立命館がたびたび旧関西六大学リーグから下部リーグへ転落し、東京六大学野球の早慶戦に匹敵する人気と伝統を持つ同立戦や関関戦が実施できないという状況がしばしば発生した。さらに、プロ野球や他のスポーツの隆盛などにより、時代と共にファン離れも加速した。

また、1986年(昭和61年)に同志社大学の一部が京田辺校地京都府京田辺市)に移転、1994年(平成5年)には立命館大学も理工学部が、1997年(平成8年)には経済学部、経営学部がBKC(びわこくさつキャンパス、滋賀県草津市)に次々と移転したため、両校学生と西京極球場との物理的時間的距離が拡大した。これにより、現状では学生の同立戦離れも常態化しつつある。

同立戦前夜祭

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毎年、硬式野球同立戦が組まれる5月(春期)および10月(秋期)に開催される両校応援団主催によるイベントである。全三部から構成され、第一部は両校応援団による演舞競演、第二部は両校吹奏楽部・チアリーダー部による合同ステージ、第三部は応援団に所属する指導部、吹奏楽部、チアリーダー部がそろって試合中の応援を再現する。かつては「円山公園野外音楽堂」で夕刻に開催されていたが、近年では「京都市庁舎前広場」に場所を移し、時間帯も昼間変えて行われている。前夜祭当日は、八坂神社から京都市役所まで約1時間半のパレードも行われる。

脚注

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  1. ^ 『同立戦 敗れる アイホ 瀬田カップ』(2009年5月13日、同志社大学プレス)[1]
  2. ^ “京都スポーツあらかると 富山教官のグライダー談義「立命館大航空部創部80周年式典と立命館大―同志社大定期戦」”. 京都新聞. (2010年10月21日). https://www.kyoto-np.co.jp/kp/sport/mandara/c_toyama/toyama.php?m=101021 2019年7月20日閲覧。 
  3. ^ 当時の京都五大学野球連盟に関しては、関西六大学野球連盟 (旧連盟)などを参照の事。
  4. ^ 関西学院高等商業学部、神戸商業大学の野球部ともに関西学生野球連盟から移籍。関学は1933年まではその連盟との掛け持ち加盟。
  5. ^ 関学の1932年春の大学昇格をもって関西六大学野球連盟に改称。

関連項目

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外部リンク

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