吉河光貞
来歴・人物
編集東京府生まれ。京華中学、一高を経て、1930年(昭和5年)東京帝国大学法学部に入学。在学中は新人会に属し田中清玄らと並び称され、日本共産党にも入党した。大学卒業直後に離党[1]、翌年、司法官試補となり各地の裁判所で検事を務める。
東京地方裁判所時代には主任検事(思想検事)としてゾルゲ事件の捜査に参加、リヒャルト・ゾルゲを取り調べた。戦後は1948年(昭和23年)に設置された法務庁特別審査局(後の公安調査庁)の初代局長、翌年に改称された法務府でも局長などを務め、チャールズ・ウィロビーに請われて下院非米活動委員会の証人になった他、団体等規正令や破壊活動防止法の制定を推進した。1951年(昭和26年)、法務府特別審査局長時代に不正入出国に関する件で衆議院行政監察特別委員会に証人喚問された[2]。最高検察庁検事を経て1964年(昭和39年)5月、公安調査庁長官に就任。1968年(昭和43年)9月、広島高等検察庁検事長に転じ、1969年(昭和44年)12月に退官。
登場するメディア
編集映画
劇画
著作・口述
編集脚注
編集- ^ 国会会議録・第005回国会法務委員会第22号
- ^ 第10回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第12号 昭和26年5月26日
関連項目
編集- 大橋秀雄 (警察官) - 吉河とともにゾルゲを取り調べた。