吉村 孝敬(よしむら こうけい、明和6年(1769年)- 天保7年7月16日1836年8月27日)は江戸時代後期の絵師。名は孝敬。通称は用蔵、は無違。号に蘭陵、龍泉。円山応挙晩年の弟子だが、応門十哲の一人に数えられる。

略伝

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京都の人。吉村蘭洲の長男として生まれる。蘭洲は滋賀県野洲市で農業を営む西川権三郎の息子で、幼少より寺院に仕え、絵師になったことが知られる。蘭洲も応挙に学んだが、寛政2年(1790年)禁裏造営の際は、障壁画制作願書に名を連ねながらも不採用になっている。

若い頃の孝敬についてはよくわかっていないが、幼少より父から絵を習い、早くに応挙の門に入ったと考えられる。寛政10年(1798年小石元俊指導で行われた腑分けに、父蘭洲・木下応受(応挙の次男)と共に同席し、『施薬院解男体臓図』(京都大学図書館などが所蔵)の解剖図を描く。享和2年(1802年)33歳の時、父と共に西本願寺本如宗主から「茶道格」を仰せつかる。そのため西本願寺の画事を多く務めている。

弟子に、子の吉村孝文wikidataや、安政度御所造営障壁画制作に参加した駒井孝礼がいる。

代表作

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作品名 技法 形状・員数 寸法(縦x横cm) 所有者 年代 落款・印章 備考
農耕十二景図 二曲六隻 東観音寺 1799年(寛政11年) 款記「寛政己未仲夏写 孝敬」 元は軸装。中国における一年の田園風景を12図に分けて描く[1]
花鳥山水図 東観音寺 裏面は伝長沢芦雪筆「渡水虎図」
近江八景図屏風 紙本淡彩 六曲一双 118.4x245.6(各) 野洲市歴史民俗博物館 1799年(寛政11年) 款記「寛政己未仲秋写孝敬」/「孝敬之印」印・「無違」印 金砂子は幕末・明治頃の後補
四季耕作図押絵貼屏風 紙本墨画淡彩 六曲一双 130.7x52.5(各) 渡辺美術館 1800年(寛政12年) 左隻第6扇のみ款記「寛政庚申初春寫 孝敬」/「孝敬」白文方印・「尤違」朱文方印
他の図は無款記/「孝敬之印」白文方印・「無違」朱文方印
元は12幅の掛け軸か[2]
波濤図 紙本金地著色 4面 西本願寺 1810年(文化7年)頃
雪松図・雪梅竹図 紙本金地著色 各6面 西本願寺 1811年(文化8年)
水辺群鶴図屏風 紙本墨画淡彩 六曲一双 法人 1811年(文化8年)
檜に猿図・松に鶏図・波に鶴図 紙本淡彩 宝鏡寺 1817年(文政10年) 伝吉村孝敬
若松猿図 絹本墨画淡彩 1幅 慈照寺 1824年(文政7年)
雲龍図 絹本墨画淡彩 1幅 115.0x50.5 京都府京都文化博物館管理) 1825年(文政8年) 款記「乙酉秋日写 源孝敬」/「孝敬之印」白文方印・「無違」朱文方印[3]
李白観瀑・子猷訪載図屏風 紙本着色 六曲一双 155.0x364.6(各) 静岡県立美術館 1828年(文政11年)
唐獅子図 心遠館 1831年(天保2年)
郡鶴図 紙本著色 襖12面 宝鏡寺書院 1833年(天保4年)
十二ヶ月花鳥図屏風 紙本著色 六曲一双 155.8x368.4(各) 奈良県立美術館 1833年(天保4年) 款記:右隻「源孝敬」・左隻「天保四癸巳季冬写 応需 源孝敬」/各隻に「孝敬」「無違」白文連印
雪松に鴛鴦図]/柳鷺図 紙本金地著色 六曲一双 インディアナポリス美術館 1833年(天保4年)
琴高仙人図 絹本墨画淡彩 1幅 127.3x177.5 泉屋博古館 1835年(天保6年) 款記「于時六十七翁孝敬筆」 西本願寺伝来[3]
桜図 絹本著色 双幅 102.1x30.5(各) 大英博物館
四季花鳥図屏風 紙本著色 六曲一双 大手前女子大学
髑髏図 紙本墨画淡彩 1幅 豊橋市・正宗寺
海棠孔雀図 1幅 153.9x170.6 京都国立博物館 款記「源孝敬[4]
春秋花鳥図 紙本著色 六曲一双 151.8x358(各) 個人[5]
四季耕作図屏風 六曲一双 152.6x346.8[6]
双鹿図 妙法院

脚注

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  1. ^ 豊橋市美術博物館編集・発行 『東観音寺展』 2000年9月29日、pp.74-77。
  2. ^ 奥平俊六 門脇むつみ 森道彦 『公益財団法人 渡辺美術館所蔵品調査報告書(第四回) 狩野派絵画 附吉村孝敬・森周峯』 2018年3月、第45図。
  3. ^ a b 茨城県天心記念五浦美術館編集/発行 『開館20周年記念 龍を描く ―天地の気―』 2017年、pp.22,63,100,108。
  4. ^ 京都国立博物館編集・発行 『貝塚廣海家コレクション受贈記念特別企画 豪商の蔵―美しい暮らしの遺産―』 2018年2月3日、図88。
  5. ^ 白畑よし 切畑健監修 『江戸期に開いた日本の美 花展 ―松坂屋 会社創立80周年記念―』 朝日新聞名古屋本社企画部、1990年、第20図。
  6. ^ 佐賀県立美術館 『田園風俗画』 1988年、p.94。

参考資料

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