吉川 吉郎兵衛(よしかわ きちろうべえ、1870年5月25日明治3年4月25日[1]) – 1948年昭和23年)1月20日[2])は、衆議院議員憲政会立憲民政党)、陸軍参与官

吉川吉郎兵衛

経歴

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大阪府西成郡津守村(現在の大阪市西成区)に生まれる。1904年(明治37年)、津守村長に就任[3]1915年大正4年)、大阪府会議員に当選し、府参事会員も務めた[3]。また、津守村が大阪市に編入された後は大阪市会議員も務めた。

1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後当選回数は8回を数えた。その間、濱口内閣で陸軍参与官を務めた。1942年(昭和17年)、第21回衆議院議員総選挙大政翼賛会の推薦を受けて当選。戦後、公職追放となり[4]、死去後の1951年に追放解除となった[5]

その他、戎信用組合理事長、木津川運河土地株式会社取締役、大阪土地建物株式会社監査役、白山殖産株式会社監査役などを務めた[6]

脚注

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  1. ^ 衆議院『第四十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1924年、4頁。
  2. ^ 『政治家人名事典』
  3. ^ a b 『代議士詳覧』P.406-407
  4. ^ 『朝日新聞』1946年2月10日一面。
  5. ^ 『毎日新聞』1951年8月7日朝刊二面。
  6. ^ 『衆議院要覧』

参考文献

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  • 広幡明男『大正十三年五月当選 代議士詳覧』泰山堂、1924年。 
  • 『衆議院要覧(乙)昭和十七年十一月』衆議院事務局、1942年。 
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。