台湾府(たいわん-ふ)は、清朝にかつて存在した府。

福建省の台湾府の位置(1820年)

鄭氏政権時代

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鄭成功オランダ勢力を駆逐し鄭氏政権を樹立すると、1661年永暦15年)に承天府を設置、衙門を赤崁楼に設置し台湾南部を管轄した。1664年(永暦18年)から1683年(永暦37年)まで、台湾南部の2州(県より昇格)に加え、澎湖、南路及び北路の3司を管轄に置いた。

清国統治時代

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1683年康熙22年)、台湾を勢力下に置いた清朝は承天府を廃止、台湾府を設置し、台湾全島を管轄していた。しかし1875年光緒元年)に台北府中国語版が設置されると台湾北部が管轄範囲から分離、1885年(光緒11年)の福建台湾省1887年(光緒13年)の台南府中国語版設置により管轄範囲は縮小、台湾中部のみを管轄、重要政策事項は福建台湾等処承宣布政使司中国語版に移管されている。

日本統治時代

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1895年明治28年)、日清戦争の結果、日本に台湾が割譲されると、日本政府は台湾府を廃止、同時に台湾府を台湾県に変更している。

参考文献

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  • 劉寧顔編『重修台湾省通志』(台湾省文献委員会 1994年)