古川町橋
京都市東山区にある橋
古川町橋(ふるかわまちばし)は、京都府京都市東山区にある橋。白川に架かる橋であり、日本百名橋の番外に選ばれている。行者橋、一本橋、阿闍梨橋とも呼ばれる。
古川町橋 | |
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基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 京都府京都市東山区 |
交差物件 | 白川 |
建設 | 1907年 |
座標 | 北緯35度0分26.2秒 東経135度46分41.3秒 / 北緯35.007278度 東経135.778139度 |
構造諸元 | |
材料 | 御影石 |
全長 | 11.7 m |
幅 | 60 cm |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
概要
編集長さ約12メートル、幅67センチメートル[1]、4径間の石造の桁橋である[2]。今日ある橋は1907年(明治40年)に架け替えられたもので[2](京都市橋梁台帳)、京都市の市道となっている。橋の北東には古川町商店街、南東には知恩院がある。比叡山の行者が千日回峰行の「京都大廻り」の時に白装束をまとってこの橋を渡ることで知られる。他にも、祇園祭の時には稚児が、粟田神社の祭りの時は氏子が渡る。
橋板(橋桁)は石の板2枚を左右一組とし、対岸まで縦に4つ並べる[1]。人道橋であり自動車は渡れない[2]。橋のたもとには京都市が設置した「一本橋」と題した解説があり、橋の別名の由来を伝えている[3]。
歴史
編集最初の架設年は不明である。江戸時代中期から後期の国学者・有職故実家である橋本経亮(はしもとつねあきら、1755年 - 1805年)の記した随筆『橘窓自語』(1786年)[4]に「一本橋」として見えるのが、文献上の初出である。
脚注・出典
編集- ^ a b 河内奈々「「渡る」意識させる行者の道 古川町橋(京都市) - 橋に願いを」『asahi.com』朝日新聞社、2010年4月16日。2023年6月23日閲覧。
- ^ a b c “『京(みやこ)の橋しるべ』第13号” (pdf). 京都市建設局橋りょう健全推進課. p. 2 (2018年3月). 2023年6月23日閲覧。 “写真(2) 古川町橋(京都市東山区) ※行者橋,一本橋として有名です。完成年月:明治40年(1907年)” ※「桁橋(石や木)について」項参照。pdf配布元は京都市情報館(京都市公式ウェブサイト)「「京(みやこ)の橋しるべ」の発行について」ページ。
- ^ ウィキメディア・コモンズに写真「古川町橋」(2012年3月)を収録。
- ^ “橋本経亮(ハシモト・ツネスケ/ツネアキラ)|ようこそ宣長ワールドへ”. 本居宣長記念館. 公益財団法人鈴屋遺蹟保存会 (2001年). 2023年6月23日閲覧。
参考文献
編集- 松村 博『日本百名橋』鹿島出版会、1998年8月。ISBN 978-4-306-09355-3。
- 読売新聞京都支局 編『京をわたる : 名橋100選』淡交社、1993年1月。ISBN 978-4-473-01276-0。