古今亭圓菊 (2代目)

日本の落語家

二代目 古今亭 圓菊(ここんてい えんぎく、1928年4月29日 - 2012年10月13日)は、静岡県出身の落語家出囃子は『武蔵名物』。紋は『裏梅』。本名∶藤原 淑。長男は同じく落語家三代目古今亭圓菊

二代目 古今亭ここんてい 圓菊えんぎく
Kokontei Engiku the 2nd
二代目 古今亭(ここんてい) 圓菊(えんぎく) Kokontei Engiku the 2nd
古今亭圓菊定紋「裏梅」
本名 藤原ふじわら しゅく
生年月日 1928年4月29日
没年月日 (2012-10-13) 2012年10月13日(84歳没)
出身地 日本の旗 日本静岡県志太郡伊久身村(現:島田市
死没地 日本の旗 日本東京都北区
師匠 五代目古今亭志ん生
弟子 古今亭菊龍
古今亭志ん彌
古今亭菊丸
古今亭菊春
古今亭菊千代
古今亭菊寿
古今亭菊輔
三代目古今亭圓菊
古今亭菊之丞
古今亭菊志ん
古今亭菊太楼
古今亭文菊
名跡 1. 古今亭生次
(1953年 - 1957年)
2. 六代目むかし家今松
(1957年 - 1966年)
3. 二代目古今亭圓菊
(1966年 - 2012年)
出囃子 武蔵名物
活動期間 1953年 - 2012年
活動内容 江戸落語
手話落語
配偶者 あり(2021年没)
家族 三代目古今亭圓菊(息子)
公式サイト 古今亭圓菊
主な作品
お若伊之助
唐茄子屋政談
備考
落語協会理事
(1979年 - 2010年)
落語協会相談役
(2010年 - 2012年)

昭和を代表する落語家・五代目古今亭志ん生の弟子として、志ん生から多くのネタを継承。体をよじる、ボクシングのファイティングポーズのようなコミカルな仕草と、独特な「圓菊節」とも言われる口調で人気を集め、「寄席の爆笑王」の名をにした落語家である。また、手話落語を創案。刑務所篤志面接などのボランティア活動も続けていた。

経歴

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静岡県志太郡伊久身村(現:島田市)に生まれる。生家はしいたけ農家。静岡県立島田商業高等学校を卒業し、一時三菱重工に就職。落語は入門前に、人形町末廣で一度聴いただけ[1]だった。

1953年7月、十返舎亀造の紹介により五代目古今亭志ん生に入門し、「古今亭生次」を名乗る。1957年3月に二ツ目昇進、「六代目むかし家今松」となる。1966年9月に真打昇進、「二代目古今亭圓菊」を襲名[2][3]

1979年落語協会理事に就任。1984年刑務所篤志面接委員に着任。1996年、刑務所篤志面接理事に就任。2008年に転倒した際に脳挫傷となり入院[4][5]、療養した。2009年に一門会で復帰したが、その回の「厩火事」が最後の高座となった[6]。2011年の一門会では挨拶のみ出演した。2010年に落語協会相談役に就任。

2012年10月13日9時、多臓器不全のため、東京都北区の病院で死去した[7]。84歳没。最後の直弟子であった古今亭文菊の真打昇進披露興行が行われている最中の死去となった。戒名は「淑徳院圓菊日輪居士」。葬儀委員長は花井伸夫。葬儀に寄せられた芳志は、故人の遺志により読売光と愛の事業団に寄贈された[8]

芸歴

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役職

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  • 1979年∶落語協会理事に就任。
  • 2010年∶落語協会相談役に就任。

人物

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息子は同じく落語家の三代目古今亭圓菊[9]

前述のとおり、この名跡の初代は圓菊の師匠志ん生だった。しかし圓菊は「師匠は三遊亭で名乗ったから、俺が初代だ!」と周りにふれこんでいた。三代目古今亭志ん朝亡き後は、古今亭一門の総帥となった。

出囃子が同じだった十代目桂文治とは犬猿の仲とされ、同席するとトラブルが多かったという[10]

演芸カメラマンの橘蓮二は、1995年に許可を得て鈴本演芸場の楽屋に入って緊張していた初日に、圓菊に優しく声をかけられ芸人に紹介してもらい、写真を撮影しやすくなった。橘は、鈴本演芸場の鈴木寧席亭(6代目)と共に圓菊を恩人として深く感謝している[11]

浅草演芸ホールの11月上席で毎年「二代目古今亭圓菊追善興行」が行われている。一門弟子志ん彌菊丸菊春三代目圓菊菊之丞文菊の他内輪色物のぺぺ桜井マギー隆司、親交が深かった十一代目金原亭馬生十代目鈴々舎馬風九代目桂文楽桂文生らが出演している。2021年の興行は息子の古今亭菊生三代目古今亭圓菊を襲名したためその披露興行と併せて行われた。また、毎年12月29日の浅草演芸ホールの年末特別興行に「圓菊一門会」が恒例となっており、一門の弟子・孫弟子・色物が総出演する。

主な受賞歴

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出演番組

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著書

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  • 『笑うが勝ち 相変わらず気楽なことを申し上げます』(1984年、展転社
  • 『どの花みてもきれいだな 円菊のボランティア一笑懸命』(1987年、中央法規出版
  • 『背中の志ん生 師匠と歩いた二十年』(2001年、うなぎ書房

CD・DVD

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  • えんぎく・ぎんざ・らいぶ 1 (2004年、テイチク
1.『妾馬』 2.『粗忽の釘
  • えんぎく・ぎんざ・らいぶ 2(2005年、テイチク)
1.『唐茄子屋政談』 2.『饅頭こわい
  • えんぎく・ぎんざ・らいぶ 3(2007年、テイチク)
1.『火焔太鼓』 2.『幾代餅
  • えんぎく・ぎんざ・らいぶ 4(2008年、テイチク)
1.『蒟蒻問答』 2.『目黒のさんま
1.『幾代餅』 2.『まんじゅうこわい』 3.『鮑のし
  • なごやか寄席」シリーズ 二代目 古今亭圓菊 2(2010年、ユニバーサルインターナショナル)
1.『黄金餅』 2.『錦の袈裟
  • なごやか寄席」シリーズ 二代目 古今亭圓菊 3(2011年、ユニバーサルインターナショナル)
1.『井戸の茶碗』 2.『明烏
DISC-1: 1.『唐茄子屋政談』 2.『たらちね
DISC-2: 1.『お若伊之助』 2.『錦の袈裟
DISC-3: 1.『小言幸兵衛』 2.『明烏』
DISC-4: 1.『風呂敷』 2.『子別れ
DISC-5: 1.『幾代餅』 2.『火焔太鼓』
BOX特典盤: 1.『鮑のし』 2.古今亭圓菊一門ご紹介
1.春風亭小柳枝八五郎出世』 2.古今亭圓菊『富久』 3.入船亭扇橋文七元結』 4.三遊亭圓窓帯久
1.『井戸の茶碗』 2.『唐茄子屋政談』

一門弟子

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落語家

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真打昇進順による。なお、入門順にすると1.菊龍、2.志ん彌、3.菊春、4.菊丸、5.菊寿、6.菊輔、7.菊千代、(駿菊)、8.三代目圓菊、9.菊之丞、10.菊志ん、11.菊太楼、12.文菊となる。

退会

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色物

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系図

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二代目古今亭圓菊
 
古今亭菊龍
 
 
 
 
 
 
 
古今亭志ん彌
 
 
 
 
 
 
古今亭菊丸
 
 
 
 
 
 
古今亭菊春
 
 
 
 
 
 
古今亭菊千代
 
古今亭駒子
 
 
 
 
 
 
 
古今亭菊寿
 
 
 
 
 
 
古今亭菊輔
 
 
 
 
 
 
三代目古今亭圓菊
 
 
 
 
 
 
古今亭菊之丞
 
古今亭雛菊
 
 
 
 
 
 
 
古今亭菊志ん
 
 
 
 
 
 
古今亭菊太楼
 
古今亭菊一
 
 
 
 
 
 
 
古今亭文菊
 
 
 
 
 
 
ぺぺ桜井
 
 
 
 
 
 
マギー隆司
 

弟子入り

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廃業

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  • 古今亭菊童
  • 古今亭菊太郎

関連作品

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脚注

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  1. ^ 『背中の志ん生』84ページ。亀造師匠の紹介だったのが功を奏したのかとも。
  2. ^ 古今亭 圓菊(ここんてい えんぎく)”. 一般社団法人落語協会. 2024年1月31日閲覧。
  3. ^ 人物履歴: [2代目] 古今亭 圓菊”. 文化デジタルライブラリー. 独立行政法人日本芸術文化振興会. 2024年1月31日閲覧。
  4. ^ 菊龍の言いたい放題”. 菊龍の言いたい放題. 2023年8月29日閲覧。
  5. ^ 軽い脳梗塞という話もある(なごやか寄席シリーズ 二代目 古今亭圓菊より)
  6. ^ 菊龍の言いたい放題”. 菊龍の言いたい放題. 2023年8月29日閲覧。
  7. ^ 訃報:古今亭円菊さん84歳=落語家 毎日新聞 2012年10月13日閲覧
  8. ^ 佐藤友美 編『東京かわら版 平成25年1月号 一行情報』東京かわら版、2012年12月28日、118頁。 
  9. ^ 【訃報】手話落語の圓菊さん死去”. テレビ朝日. 2021年5月1日閲覧。
  10. ^ そのことをよく目撃していた圓菊の実子で弟子の三代目圓菊と十代目文治の愛弟子十一代目文治は、それぞれの師匠から出囃子を受け継ぎ、二人とも「武蔵名物」を使っていた。その二人がホール落語で同席した際は、互いに出囃子を譲り合い、結局文治が「武蔵名物」を、圓菊が自身が二ツ目の際まで使用していた「鉄道唱歌」を使用した。
  11. ^ 小林伸行「橘蓮二 愛と敬意をシャッターにこめて」『朝日新聞』2023年12月2日、be on Saturday。

外部リンク

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