南郡元町
南郡元町(みなみこおりもとちょう[3])は、鹿児島県鹿児島市の町[4]。郵便番号は890-0069[5]。人口は1,222人、世帯数は801世帯(2020年4月1日現在)[6]。南郡元町の全域で住居表示を実施している[7]。
南郡元町 | |
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町丁 | |
北緯31度33分26秒 東経130度32分42秒 / 北緯31.557222度 東経130.545度座標: 北緯31度33分26秒 東経130度32分42秒 / 北緯31.557222度 東経130.545度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 鹿児島県 |
市町村 | 鹿児島市 |
地域 | 中央地域 |
地区 | 鴨池地区 |
人口情報(2020年(令和2年)4月1日現在) | |
人口 | 1,222 人 |
世帯数 | 801 世帯 |
郵便番号 | 890-0069 |
市外局番 | 099 |
ナンバープレート | 鹿児島 |
運輸局住所コード[2] | 46500-1079 |
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地理
編集鹿児島市の中部、新川の下流域に位置している。町域の北方には郡元、郡元町、南方には宇宿、西方には南新町、紫原、東方には東郡元町にそれぞれ接している。
町域の北部には志學館中等部・高等部が所在している。ただし、隣接して所在する志學館大学は紫原一丁目に位置している。
町域の東端部を国道225号が北東方から南方に向けて通っており、紫原団地入口交差点で鹿児島県道20号鹿児島加世田線と合流する。鉄道は町域の西端部を九州旅客鉄道指宿枕崎線、鹿児島市交通局鹿児島市電谷山線が並行して通っており、町域の中央部に南鹿児島駅(鹿児島市電は南鹿児島駅前電停)が所在している。
河川
編集- 新川
歴史
編集前史
編集現在の南郡元町付近は古くから繰り返し戦場となっている区域であり、南北朝時代に起こった島津貞久と平忠高の戦い及び西南戦争の紫原の戦いにおいて戦場となり、辺りは牛掛灘の古戦場と呼ばれた。その名残として決戦の碑や戦場跡に牛掛公園が設置されている[8][9]。
また、北端部にある涙橋は江戸時代に南部にあった処刑場に向かう罪人と家族が最後の別れをしたことから涙橋と呼ばれるようになったとされる[10]。西南戦争においては官軍と薩摩藩が涙橋で衝突し90名の兵士が戦死している[11]。
南郡元町設置後
編集1973年(昭和48年)3月4日に郡元町・宇宿町の一部の区域にあたる南港地区において住居表示が実施されることとなった[12]。これに伴い町の区域の再編が実施され、郡元町の一部より鹿児島市の町「南郡元町」として設置された[4][12]。また同時に南郡元町の全域で住居表示が実施された[12]。
1987年(昭和62年)に志學館高等部、1990年(平成2年)に志學館中等部が南郡元町に開校した[13]。
町域の変遷
編集変更後 | 変更年 | 変更前 |
---|---|---|
南郡元町(新設) | 1973年(昭和48年) | 郡元町(一部) |
人口
編集以下の表は国勢調査による小地域集計が開始された1995年以降の人口の推移である。
年 | 人口 |
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1995年(平成7年)[14] | 1,390
|
2000年(平成12年)[15] | 1,298
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2005年(平成17年)[16] | 1,379
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2010年(平成22年)[17] | 1,370
|
2015年(平成27年)[18] | 1,395
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施設
編集公共
編集- 鹿児島市水道局新郡元水源地[19]
教育
編集郵便局
編集- 鹿児島南郡元郵便局[20]
小・中学校の学区
編集市立小・中学校の学区(校区)は以下の通りである[21]。
町丁 | 番・番地 | 小学校 | 中学校 |
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南郡元町 | 全域 | 鹿児島市立南小学校 | 鹿児島市立南中学校 |
交通
編集道路
編集鉄道
編集脚注
編集- ^ “日本 町字マスター データセット”. デジタル庁 (2022年3月31日). 2022年4月29日閲覧。
- ^ “自動車登録関係コード検索システム”. 国土交通省. 2021年4月26日閲覧。
- ^ “鹿児島市の町名”. 鹿児島市. 2020年10月25日閲覧。
- ^ a b 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 604.
- ^ “鹿児島県鹿児島市南郡元町の郵便番号”. 日本郵便. 2021年1月1日閲覧。
- ^ “年齢(5歳階級)別・町丁別住民基本台帳人口(平成27~令和2年度)”. 鹿児島市 (2020年4月1日). 2020年5月8日閲覧。
- ^ “住居表示実施区域町名一覧表”. 鹿児島市 (2020年2月3日). 2020年6月28日閲覧。
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 692.
- ^ “牛掛灘の古戦場”. 鹿児島市. 2011年12月12日閲覧。
- ^ “涙橋”. 鹿児島市. 2012年6月10日閲覧。
- ^ 豊増哲雄 1996, p. 137.
- ^ a b c “かごしま市民のひろば(昭和48年3月号)”. 鹿児島市 (1973年3月). 2021年1月1日閲覧。
- ^ a b 南日本新聞 2015, p. 959.
- ^ “国勢調査 / 平成7年国勢調査 小地域集計 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成12年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成17年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成22年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成27年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
- ^ “中央地域の応急給水拠点”. 鹿児島市. 2021年1月1日閲覧。
- ^ “鹿児島南郡元郵便局(鹿児島県)”. 日本郵便. 2021年1月1日閲覧。
- ^ “小・中学校の校区(学区)表”. 鹿児島市役所. 2020年9月26日閲覧。
参考文献
編集- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会「角川日本地名大辞典 46 鹿児島県」『角川日本地名大辞典』第46巻、角川書店、日本、1983年3月1日。ISBN 978-4-04-001460-9。, Wikidata Q111291392
- 豊増哲雄『古地図に見る かごしまの町』春苑堂出版、1996年。ISBN 4-915-09337-9。
- 南日本新聞『鹿児島市史Ⅴ』 5巻、鹿児島市、2015年3月27日 。, Wikidata Q111372912