千葉胤次
千葉 胤次(ちば たねつぐ、1894年(明治27年)1月2日[1][2] - 1959年(昭和34年)7月6日)は、昭和時代前期の政治家、弓道家。東京市目黒区長、品川区長、下谷区長、麹町区長。号は宏斉[3]。
経歴
編集千葉晋作の二男として宮城県栗原郡高清水町(現在の栗原市)に生まれる[1]。早稲田大学商科を卒業し、東京市電気局工場長、秘書係長、秘書労働工場各課長を経て[1]、1932年(昭和7年)10月、目黒区長に就任し、1936年(昭和11年)10月、品川区長に転じた[4]。ついで1937年(昭和12年)12月、下谷区長となり、1940年(昭和15年)8月まで務め[4]、同年12月、東京市会事務局長に就任した[1]。ほか、大政翼賛会局長などを務めた[3]。
弓道家としても活躍し、小笠原清道に師事[2]。宮内省師範[2]。宮内省皇宮警察部に弓道部を設置し、区営の道場を建設するなど弓道の普及に尽力したほか、全日本弓道連盟創設委員となり、同会第3代会長を務めた[3]。
脚注
編集参考文献
編集- 帝国秘密探偵社 編『大衆人事録 第14版 東京篇』帝国秘密探偵社、1942年 。
- 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496。