千玄室

日本の茶人(1923-)、茶道裏千家15代

千 玄室(せん げんしつ、1923年大正〉12年)4月19日 - )は、茶道裏千家前家元15代汎叟宗室。斎号は鵬雲斎。若宗匠時代は宗興。現在は大宗匠・千玄室と称する。「玄室」の名は、裏千家4代目の仙叟宗室が宗室襲名前に玄室と名乗っており、これに因んで12代直叟宗室が隠居した際に玄室を名乗ったことに由来する[要出典]。本名は千 政興。青年時代には大日本帝国海軍に特攻隊員として入隊した経験を持つ。メディアなどを通し、戦争体験者の1人として実体験を語り継いでいる。最終階級海軍少尉

せん げんしつ

千 玄室
生誕 千 政興(せん まさおき)
(1923-04-19) 1923年4月19日(101歳)
国籍 日本の旗 日本
民族 日本人
出身校 同志社大学法経学部経済学科卒業
職業 茶道家
流派 裏千家
配偶者 塚本登三子(1999年死別)
子供 長男:16代玄黙宗室
次男:伊住政和
父:14代碩叟宗室
母:千嘉代子
家族 姉:塩月弥栄子
姉:櫻井良子
弟:納屋嘉治
弟:大谷巳津彦
孫:菊地明史
孫:阪田万紀子
孫:千敬史
孫:伊住公一朗
孫:伊住禮次朗
公式サイト 公式ウェブサイト
テンプレートを表示

京都大学大学院特任教授大阪大学大学院客員教授として、伝統芸術研究領域における指導に当たるほか、外務省参与(2019年3月31日まで)[1]ユネスコ親善大使日本国連親善大使[2]日本国際連合協会会長、日本オリンピック委員会名誉委員日本会議代表委員、日本馬術連盟会長[3]京都サンガF.C.取締役などを務めている。

略歴

編集

受賞・栄典

編集
 
内閣総理大臣顕彰式(2023年)

親族

編集

妻は塚本商店会長・塚本定治郎(4代塚本定右衛門)の三女登三子(1930年 - 1999年)。長男は現家元16代玄黙宗室。次男は伊住政和(1958年 - 2003年)。父は14代碩叟宗室(通称・淡々斎宗室として知られる)。母は千嘉代子。姉は茶道家・冠婚葬祭評論家の塩月弥栄子。次弟は納屋嘉治淡交社社長(1925年 - 2004年)。孫に千敬史伊住公一朗伊住禮次朗

友人・西村晃

編集

同年生まれ(学年は玄室が1年下)の俳優である西村晃とは舞鶴海兵団で出会い、特攻隊の編成の際にも同じ隊に所属していた。特攻作戦の実行が近づいたため徳島から串良海軍航空基地に移動する日、飛行訓練後に自分達が乗る飛行機の機体の傍で手持ちの道具と配給の羊羹で5人の隊員全員と茶会を催した事は、戦後西村の述懐・自身の著作や講演などで広く知られる。終戦直前に鹿屋から松山の基地への転属が命じられたため西村とは別れることとなった。戦後の1946年(昭和21年)に偶然にも用事で文部省の建物の前にいた玄室は、メーデーで演劇関係者が結成した労働組合の行列の中から大声で名前を呼ぶ声があり西村と再会を果たすこととなったが、この時まで西村は出撃により既に亡くなったものと思っていたという。西村は出撃したが機体故障の為引き返し、また玄室自身は出撃する事が無かったため、同隊ではこの2人のみが生還した[12][13]1997年に西村が死去した際、生前の約束(どちらかが亡くなった場合、残された者が葬儀委員長を務める)に従って葬儀委員長を務めた[14]

テレビ時代劇「水戸黄門」の印籠シーンが午後8時45分前後に固定されるようになった背景には玄室が印籠シーンの時間を一定にするよう西村に依頼したことがあるという説があるが、玄室によると、依頼したことは事実だが西村はそのことをスタッフに伝えなかったそうである。

著書

編集
  • 『お茶の道しるべ』(主婦の友社 1956年)
  • 『ヨーロッパ旅箪笥』(淡交新社 1959年)
  • 『裏千家茶道』全3巻(淡交新社 1966-1968年)
  • 『お茶のこころ』(文藝春秋 1966年)
  • 『茶の湯裏千家』(主婦の友社 1966年)
  • 『裏千家茶道のおしえ』(日本放送出版協会 1968年)
  • 『茶に生きる心』(講談社 1969年)
  • 『茶の精神』(淡交社(茶の湯ライブラリー)1969年) - 講談社学術文庫 2003年
  • 『茶の心』(毎日新聞社 1971年)
  • 『物とこころ』対談:松下幸之助(読売新聞社 1973年)
  • 『裏千家茶道教科』淡交社(全17巻)1976-1977年
  • 『裏千家今日庵 重要文化財』編(淡交社 1977年)
  • 『茶のすがた』(PHP研究所 1978年)
  • 『茶の真諦 道・学・実』(淡交社 1980年)
  • 『なんて美しい女性だろう! ちょっとしたしぐさがあなたを変える-箸の上げおろしから口のきき方まで』(主婦と生活社 1981年)
  • 『『茶経』と我が国茶道の歴史的意義』(淡交社 1983年)
  • 『一碗のお茶から 特選エッセイ集』(学習研究社 1983年)
  • 『茶のこころ一日一話』(PHP研究所 1983年)
  • 『裏千家お茶の道しるべ』(主婦の友社 1984年)
  • 『正午の茶事 炉編』(淡交社 茶の湯実践講座 1984年)
  • 『正午の茶事 風炉編』(淡交社 茶の湯実践講座 1985年)
  • 『夜咄の茶事』(淡交社 茶の湯実践講座 1986年)
  • 『お茶をどうぞ 私の履歴書』(日本経済新聞社 1987年)
  • 『朝茶事』(淡交社 茶の湯実践講座 1987年)
  • 『定本茶の湯裏千家』(主婦の友社 1988年)
  • 『みどりの一碗から 利休の知恵』井上隆雄写真(講談社 1989年)
  • 『心の一碗を 茶話対座』(淡交社 1991年)
  • 『一亭一客 茶話対座』(淡交社 1994年)
  • 『生涯学習 おもしろくなき世をおもしろく』(教育出版 1996年)
  • 『立礼の点前と茶事 裏千家茶道』(淡交社 1997年)
  • 『裏千家茶道のおしえ 中級編』(日本放送出版協会 1999年)
  • 『茶の心』井上隆雄写真(淡交社 2001年)
以下「千玄室」
  • 『一碗からピースフルネスを』(淡交社、2003年)
  • 『好日』(近代出版社
  • 『千玄室が語る茶の楽しみ』(ランダムハウス講談社 2004年) - 光文社知恵の森文庫 2016年
  • 『茶のこころ世界へ』(日本放送出版協会 2004年)
  • 『千玄室対談集 国を想う―京都、日本、そして世界へ』(淡交社 2005年)
  • 『千玄室対談集 道を拓く―ひとすじの道に生きる』(淡交社 2006年)
  • 『生かされている喜び』 (淡交社 2006年)
  • 『時代の証言者 茶のこころ』(読売ぶっくれっと、2006年)
  • 『いい人ぶらずに生きてみよう』(集英社新書、2010年)
  • 『平和のために、みんな一緒』(淡交社、2014年)
  • 『茶のこころを世界へ(100年インタビュー)』(PHP研究所、2014年)
  • 『日本人の心、伝えます』(幻冬舎、2016年)
  • 『一盌をどうぞ 私の歩んできた道』(ミネルヴァ書房、2020年)

共著

編集

トーク番組

編集

脚注

編集
  1. ^ 産経新聞朝刊2018年4月4日「千玄室氏の外務省参与期間を更新」
  2. ^ “千玄室(財団法人)日本国際連合協会会長への日本・国連親善大使の称号の付与について”. 外務省. (2005年9月5日). https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/17/rls_0905b.html 2018年7月4日閲覧。 
  3. ^ 日本馬術連盟について - 役員リスト”. 日本馬術連盟 (2013年6月20日). 2023年7月16日閲覧。
  4. ^ 裏千家前家元・千玄室<5> 乗馬に熱中、世界観広げた学生時代”. 産経新聞 (2023年4月5日). 2023年5月5日閲覧。
  5. ^ 裏千家前家元・千玄室<6> 徴兵召集…仲間と覚悟の茶会”. 産経新聞 (2023年4月6日). 2023年5月5日閲覧。
  6. ^ 裏千家前家元・千玄室<12> 大徳寺で参禅 老師との出会い”. 産経新聞 (2023年4月12日). 2023年5月5日閲覧。
  7. ^ 千玄室さん、パリで献茶 被災者へ祈り…ユネスコ親善大使就任 読売新聞 2012年3月6日 (2012年3月12日閲覧)
  8. ^ 河野外務大臣による千玄室氏及びコシノジュンコ氏に対する万博誘致特使委嘱状交付”. 外務省 (2017年9月15日). 2023年5月5日閲覧。
  9. ^ 100歳の茶道前家元・千玄室さん、シドニーで献茶式 平和訴え”. 毎日新聞 (2023年6月10日). 2023年7月17日閲覧。
  10. ^ 千玄室大宗匠がレジオン・ドヌール勲章を受章”. 駐日フランス大使館 (2021年5月24日). 2020年12月29日閲覧。
  11. ^ 令和5年4月20日 内閣総理大臣顕彰式|総理の一日”. 首相官邸 (2023年4月20日). 2023年4月25日閲覧。
  12. ^ 『お茶をどうぞ 私の履歴書』(1987)第3章「戦争」、『千玄室あゆみ草』(2015)第2章「海軍での日々」より
  13. ^ 戦後65年 特攻を語る『「お母さん」全員が叫んだ…茶道裏千家前家元 千玄室さん』”. 読売新聞 (2010年8月13日). 2010年8月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年12月18日閲覧。
  14. ^ 日刊スポーツ 1997年4月20日 芸能面など

外部リンク

編集
先代
山口泰弘
同志社校友会会長
1975年 - 1978年
次代
巽悟朗