十日市町・土橋
広島市中区の地名
十日市町(とうかいちまち)及び土橋(どはし)は、広島市中区の中央部に位置する地区である。
定義
編集地理
編集地名と歴史について
編集画像外部リンク | |
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アメリカ国立公文書記録管理局が所有する米軍撮影写真。 | |
Hiroshima aerial A3388 爆心地周辺から西方向を撮影。右下の川沿いにあるL字型の建物が本川国民学校(本川小学校)、写真中央に唯一つある建物が光道国民学校(廃校)。 | |
Hiroshima ground 3 Aug 46 A3472 現在の堺町付近から爆心地方向を撮影。右から、原爆ドーム、広島商工会議所、本川国民学校。 | |
Hiroshima aerial A3368 中央を横断する道路が後の平和大通り、車両が通っている道路が寺町通り。 | |
Hiroshima aerial A3470 手前の川が天満川で写真中央の橋が天満橋/広電天満橋にあたり、手前の中洲土地が堺町および小網町にあたる。 |
地名の読み
編集- 広島市による「十日市町」、「土橋」の読みはそれぞれ「とうかいちまち」、「どはし」である[1]。土橋を「どはし」と読むのは「どばし」では濁点が4つになり不吉であるからという[要出典]。しかし、「どはし」はあくまで正式名称であり、以前から定着している「どばし」と呼ぶ者が圧倒的に多い。
- 町内にある広島電鉄の電停名は十日市町電停が「とうかいちまち」と読み、土橋電停は「どばし」と読む。
地名の由来
編集- 十日市町は10日に市が開かれていたことから付けられた地名で、毛利氏が吉田郡山城(安芸高田市吉田町)から広島城に移った際、吉田で行われていた10日の市を現在の十日市町で行うようになったため「十日市」と呼ばれるようになったと言われる。
- 土橋町は昔、土橋がかけられていたことからその名がつけられた。原爆が投下されるまでは広島本通商店街から中島地区(現在の広島平和記念公園内)、そして堺町、土橋と長い商店街がつらなっていて、繁華街の一部であった。
住居表示
編集交通
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編集道路
編集出身有名人
編集脚注
編集- ^ 現行町名と廃止町名の一覧 - 広島市、2015年6月10日閲覧。
関連項目
編集- 広島市町名・地区一覧
- 十日市 (曖昧さ回避)、十日市町 (曖昧さ回避)、土橋 - 全国にある類似の地名。
外部リンク
編集- ひろしま戦前の風景 - 中国放送(RCC)。戦前の映像がある。