勤子内親王
平安時代中期の皇族。醍醐天皇の五女。四品
勤子内親王(きんし/いそこないしんのう)は、醍醐天皇の第5皇女。四品。母は更衣・源周子。女四の宮と称される。源順に『和名類聚抄』の編纂を命じた。
勤子内親王 | |
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時代 | 平安時代前期 - 中期 |
生誕 | 延喜4年(904年) |
薨去 | 天慶元年11月5日(938年11月29日) |
別名 | 女四の宮 |
位階 | 四品 |
父母 | 父:醍醐天皇、母:源周子 |
兄弟 | 勧子内親王、宣子内親王、恭子内親王、克明親王、保明親王、慶子内親王、代明親王、勤子内親王、婉子内親王、都子内親王、重明親王、常明親王、修子内親王、敏子内親王、式明親王、雅子内親王、有明親王、普子内親王、時明親王、長明親王、源高明、兼明親王、源兼子、靖子内親王、源厳子、源自明、韶子内親王、源允明、康子内親王、英子内親王、斉子内親王、朱雀天皇、章明親王、村上天皇、源為明、盛明親王 |
夫 | 藤原師輔 |
経歴
編集延喜8年(908年)内親王宣下。『和名類聚抄』の序文によれば、「淑姿花の如き」美しさであった。7歳の時、初めて父・醍醐天皇に謁し、父帝より鍾愛されて筝の教授を受け、筝譜を相承された。承平6年(936年)、四品に叙位。承平年間(931年 - 938年)に、外戚の源順[1]に『和名類聚抄』の編纂をさせた。藤原師輔と結婚したが、天慶元年(938年)に35歳で没。師輔との間に子女はなかった。
脚注
編集参考文献
編集- 芳賀登他監修 『日本女性人名辞典』 日本図書センター、1993年。