前田 勝之助(まえだ かつのすけ、1909年明治42年)11月1日 - 1998年平成10年)11月5日[1])は、浪曲ものまね師[1]

群馬県生まれ、栃木県出身[1]。民謡芸人の父・都勇勝の兄弟分で八木節創設者の(初代)堀込源太について八木節を習う[1]1930年昭和5年)、堀込小源太の芸名で浅草万盛館で初舞台を踏み、翌1931年(昭和6年)、八木節がテーマの映画『目無し鳥』に芸人役で出演した後、全国巡業する[1]流しの時代を経て再び上京し、曲師の隆の家百々竜と結婚、漫才を組んで浪曲ものまねをする[1]。持ちネタは玉川勝太郎の『天保水滸伝』、広沢虎造の『森の石松』などで[1]ラジオ東京の番組『浪曲天狗道場』の審判員役も務めた[2]

東京演芸協会の4代目会長を歴任[3]

1976年(昭和51年)度第31回文化庁芸術祭(大衆芸能部門)参加し、優秀賞を受賞した[4]

受賞など

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参考文献

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  • 神保喜利彦『東京漫才調査報告及資料控』私家版 NDL蔵 NDLJP:22996814p.99
  • 石井公成『〈ものまね〉の歴史 : 仏教・笑い・芸能 』ISBN 9784642058483

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 前田勝之助 新撰芸能人物事典 明治~平成 - コトバンク、2017年5月21日閲覧。
  2. ^ 斉藤尚子と再婚した。神保喜利彦『東京漫才調査報告及資料控』
  3. ^ [1]
  4. ^ a b 昭和51年度文化庁芸術祭大賞受賞(pdf)(文化庁)、2017年5月21日閲覧。