冬のリヴィエラ』(ふゆのリヴィエラ)は、1982年11月21日に発売された森進一の56枚目のシングル。

「冬のリヴィエラ」
森進一シングル
B面 駅灯り
リリース
ジャンル 演歌歌謡曲ポップス
時間
レーベル ビクター
作詞・作曲 松本隆(作詞)
大瀧詠一(作曲・編曲)
ゴールドディスク
チャート最高順位
  • 週間10位(4週連続・オリコン[1]
  • 1983年度年間41位(オリコン)[1]
  • 5位(ザ・ベストテン[2]
  • 1983年上半期14位(ザ・ベストテン)[2]
  • 1983年度年間36位(ザ・ベストテン)[2]
  • 森進一 シングル 年表
    男の真情
    (1982年)
    冬のリヴィエラ
    (1982年)
    紐育物語
    (1983年)
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    解説

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    • タイトルにある「リヴィエラ」とは、イタリア語で「海岸」を意味する。また、本楽曲は「サントリー・ウインター・ギフト」のテーマソングとなっていた。
    • フォークソング風の「襟裳岬」に引き続き、本楽曲はポップス風に仕上がった楽曲となっている。
    • レコーディングの際にはビクターの担当であった川原伸司や松本らに加え、ライバル会社であるCBS・ソニーの若松宗雄もスタジオに呼ばれて立ち会っていたという。川原が「平井夏美」の変名で松田聖子への楽曲提供を行った縁で呼ばれたという。
    • 本楽曲を担当した大瀧詠一は「歌詞の通りに曲を付けた」「森進一でジャズを、と依頼されたがジャズの素養がないから断念した」と語っていた[3]
    • 本曲を紹介した朝日新聞夕刊1982年12月24日の記事では、"曲はニューミュージック界の俊英、大瀧詠一"と書かれている[4]。また森進一が「どんな歌だろうが、うたってしまえば自分のもの」などと発言しており[4]、後の「おふくろさん騒動」に繋がる萌芽が見られる。
    • 森にとっては、1974年の「北航路」以来9年ぶりのオリコントップ10入りを果たした。また、TBSザ・ベストテン」でも1979年の「新宿・みなと町」以来4年ぶりのランクインとなり、7週連続10位以内にランクインした。なお、森のシングルでは現時点でオリコントップ10入りを果たした最後の曲となっている[1]。また、「ザ・ベストテン」へのトップ10ランクインも、この曲が最後だった[2]
    • 同曲のヒット当時の森は、レコード音源よりも少しキーを高くして歌唱する事が多かった。
    • また、本楽曲を作詞した松本隆は、1983年10月の「第16回日本作詩大賞」で初のグランプリを獲得した。
    • NHK紅白歌合戦」では、1983年末の第34回と、29年後の2012年末の第63回の、合計2回本楽曲を披露した。
    • 2013年末に大瀧が65歳で急死した際に、森は「冬のリヴィエラは、いまも私にとって大きな宝物のような一曲。大瀧さんの元に届きますよう、心を込めて歌わせていただきます」と大瀧を悼みつつ、テレビ東京系「第46回年忘れにっぽんの歌」で本楽曲を披露した[5]

    収録曲

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    1. 冬のリヴィエラ(4分28秒)
      作詞:松本隆/作曲:大瀧詠一/編曲:前田憲男
    2. 駅灯り(3分22秒)
      作詞:山口洋子/作曲:平尾昌晃/編曲:薗広昭

    カバー

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    脚注

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    出典

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    1. ^ a b c オリコンランキング情報サービス「you大樹」
    2. ^ a b c d 角川インタラクティブ・メディア「別冊ザ・テレビジョン ザ・ベストテン 〜蘇る! 80'sポップスHITヒストリー〜」2004年12月、ISBN 978-4-0489-4453-3
    3. ^ 1997年11月28日「大瀧詠一のオールナイトニッポンDX」にて
    4. ^ a b “83年の年男歌手2人が新春競演 布施明 トークショーで新境地/森進一 新曲携え17年目へ猛進”. 朝日新聞夕刊 (朝日新聞社): p. 11. (1982年12月24日) 
    5. ^ スポーツニッポン森進一 大滝さんにささげる「冬のリヴィエラ」テレ東でナマ熱唱」、2013年12月31日付
    6. ^ 大滝詠一が「快盗ルビイ」「風立ちぬ」など提供曲を歌うアルバム3月発売”. 音楽ナタリー (2016年1月8日). 2016年1月8日閲覧。

    関連項目

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    • 風街図鑑 - 松本隆・作詞家活動30周年記念CD-BOX。「冬のリヴィエラ」を収録。