技術院(ぎじゅついん)は、1942年昭和17年)1月31日に設置され[1]1945年(昭和20年)9月4日に廃止された[2]内閣直属の日本の機関。「科学技術に関する国家総力を綜合発揮せしめ科学技術の刷新向上、就中航空に関する科学技術の躍進を図る」ことを目的として設置された[1]

組織

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  • 総裁(親任
  • 次長1人(勅任
  • 秘書官専任1人(奏任
  • 参技官専任50人(教師、事務官も参加)(奏任、内6人を勅任と為すことを得)
  • 理事官専任1人(奏任)
  • 参技官補専任66人(判任
  • 属専任6人(判任)

組織については[1]を参照。

総裁

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[3]

  • 井上匡四郎 1942年(昭和17年)1月31日 - 1944年(昭和19年)12月5日
  • 八木秀次 1944年(昭和19年)12月5日 - 1945年(昭和20年)5月22日
  • 多田礼吉 1945年(昭和20年)5月22日 - 9月4日

出典

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  1. ^ a b c 「新聞記事文庫 技術問題(2-034) 中外商業新報 1942年(昭和17年)1月31日」(神戸大学 電子図書館システム)[リンク切れ]
  2. ^ 「技術院官制廃止ノ件」(昭和二十年・勅令第五一一号、国立公文書館 デジタルアーカイブ)
  3. ^ 河村豊「戦時末期における文部省の戦時科学政策-陸海軍技術運用委員会の下での変化」(PDF)『イル・サジアトーレ』第36巻、2007年、47-63頁、NAID 20001609348 

関連文献

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  • 水沢 光『日本の戦時科学技術動員体制-軍産学連携と研究助成の制度化[1]』吉川弘文館 2024年11月 ISBN 9784642039383

関連項目

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