内田隆滋
内田 隆滋(うちだ たかしげ、1919年(大正8年)3月20日[1] - 2016年(平成28年)7月29日[1][2])は、昭和から平成時代の土木工学者、鉄道官僚、実業家。位階は従四位。元東武鉄道社長[1][2]。
経歴・人物
編集1943年(昭和18年)東京帝国大学工学部土木工学科卒業、海軍技術将校として教育に当たる[1]。戦後、鉄道省に入省し、施設局附となる[1]。1963年(昭和38年)建設局計画課長、1968年(昭和43年)幹線調査室長、1970年(昭和45年)建設局長、1972年(昭和47年)常務理事を経て、1975年(昭和50年)退官[1]。民間に転じ、1976年(昭和51年)東武鉄道常務、専務を経て、1983年(昭和58年)日本鉄道建設公団総裁となる[1]。1987年(昭和62年)東武鉄道へ復職し、1988年(昭和63年)取締役副社長を経て、1994年(平成6年)6月社長となった[1]。ほか、土木学会第76代会長など要職を歴任した[1]。2016年(平成28年)7月29日、肺炎のため死去[2]。97歳。
受賞
編集脚注
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