入江伸

日本の進学塾講師、伸学者の創設者 (1917–2006)

入江伸(いりえ しん、1917年12月15日 - 2006年2月20日)は、かつて存在した学習塾伸学社入江塾)の塾頭。本名は入江功二。なお、入江伸を「いりえ のぶる」と読ませていた時期もあった。

いりえ しん

入江伸
入江 伸(1977年)
生誕 1917年12月15日
死没 2006年2月20日(享年88歳)
別名 入江 伸
職業 教育者:伸学社(入江塾)塾長
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経歴

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<授業風景 於新学舎(札幌)>

旧制大阪府立今宮中学2年生の時、右脚を悪くしたために兵役検査で丙種不合格となる。教練不合格のために官立の上級学校への受験資格を得られず、関西大学哲学科を特殊卒業し、教職に就く。1947年大阪府議会の選挙で日本共産党から立候補するも落選し、後に除名。1948年大阪府立阿倍野高等学校での国語教師を最後に教職を去り、通信教育の添削を始める。その指導が評判となり、帝塚山の自宅に生徒たちが集まり、各人が机や椅子を持ち寄ったことから1960年伸学社(通称入江塾)を設立。「人間7分学力3分」を指導理念とし、生活面から徹底した指導を行ったためスパルタ教育として賛否両論を呼んだ。

1985年脳梗塞を発症。そのため1986年に塾を畳む。2006年2月20日、肺炎で死去。享年88。

著書

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参考文献

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