偃渓広聞
宋の臨済僧
偃渓広聞(えんけい こうもん)は、宋代で活動した臨済宗大慧派の禅傑である。大慧下4世。
偃渓広聞 | |
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淳熙16年 - 景定4年6月14日 (1189年 - 1263年7月20日) | |
諡号 | 仏智禅師 |
生地 | 福州侯官県 |
宗派 | 臨済宗大慧派 |
師 | 浙翁如琰 |
弟子 |
雲峰妙高、鉄鏡至明、南山 寿 止泓 鑑、草堂 隆 |
生涯
編集淳熙16年(1189年)、福州侯官県で生誕。俗姓は林氏。嘉泰元年(1201年)、18歳に寧国府宛陵光考寺で出家。鉄牛印に参禅し、径山の浙翁如琰の許に移って趙州洗鉢の公案で開悟した。紹定元年(1228年)、慶元府瑞巌寺の住持となり、次いで香山智度寺、径山寺の席を薫する。淳祐5年(1245年)、慶元府雪竇資聖寺に勅住、淳祐8年(1248年)に阿育王寺、淳祐11年(1251年)に臨安府浄慈寺、宝祐2年(1254年)に霊隠寺の住持を経て再び径山寺で法を弘めた。
参考文献
編集- 禅学大辞典編纂所 編 『新版 禅学大辞典』p.326 1985年
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