信光寺 (瑞浪市)
岐阜県瑞浪市土岐町にある臨済宗妙心寺派の寺院
信光寺(しんこうじ)は岐阜県瑞浪市土岐町にある臨済宗妙心寺派(龍泉門派光國院下)の寺院。山号は瑞巖山。
信光寺 | |
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所在地 | 岐阜県瑞浪市土岐町2325 |
位置 | 北緯35度23分10.1秒 東経137度15分59.4秒 / 北緯35.386139度 東経137.266500度座標: 北緯35度23分10.1秒 東経137度15分59.4秒 / 北緯35.386139度 東経137.266500度 |
山号 | 瑞巖山 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派(龍泉門派) |
本尊 | 十一面観世音菩薩 |
創建年 | 永正年間または元亀元年(1570年 |
開山 | 顕考 |
開基 | 延友信光 |
中興年 | 慶長12年(1607年) |
中興 | 哲堂祖十 |
札所等 |
美濃瑞浪三十三観音霊場二番 土岐郡三十三所巡礼四番 |
文化財 | 市指定:石幢 |
法人番号 | 9200005008555 |
歴史
編集稲葉寺
編集永正年間(1504年~1521年)に稲葉寺として神篦城主の延友信光が、顕考を招いて開山した[1]とされるが、実際には延友信光は、元亀・天正年間に記録がある人物であるため事実ではないと思われる。
信光寺
編集元亀元年(1570年)小庵であった稲葉寺を延友信光が大檀那となって伽藍を持つ寺院に中興開基したものと考えられる。
天正2年(1574年)、武田勝頼の東濃侵攻の際に兵火により焼失した。
江戸時代になり、慶長12年(1607年)に三河三玄寺五世の安渓の法弟で、明知遠山氏の菩提寺の龍護寺や萬勝寺を開山した椽室宗採が、現在地に寺を再創し、
寛永16年(1639年)、その法弟の哲堂祖十が中興一世となり[2]現在に至っている。
「後の世も 照さざらめや 小暮の信(まこと)を光(てら)す 寺のともしび」と詠まれている。
境内
編集石幢
編集境内には、下町中で建立された六地蔵(石幢)があり、瑞浪市指定文化財となっている。
この石幢は、高さ約230cm、花崗岩を用いた複製の石幢で、六角形の幢身の各面には1体の地蔵菩薩が浮彫りされている。かつて葬場の入口に立てられていたものを境内に移動したと伝えられており、死者の供養や慰霊のために造立したものとみられ、当時の六地蔵信仰の浸透を示している。また、竿には「寛文貮天」の文字が彫られており、寛文2年(1662年)の造立であることがわかる。
名号碑
編集元は神篦城(鶴ヶ城)の敷地内にあったとされる、寛文11年(1671年)・享保3年(1718年)・享保13年(1728年)の名号石と、寛延4年(1751年)の石造物がある。
末寺
編集常久寺(恵那市)
関連リンク
編集参考文献
編集- 『瑞浪市史』 第六編 第五章 文化と信仰(文化宗教史) 第二節 寺社と信仰 二 市内の近世寺院 臨済宗妙心寺派竜泉門派 瑞巌山信光寺 p1025 瑞浪市 昭和49年(1974年)
- 『ふるさとの歴史 : 郷土学習のための各町概史 (瑞浪市郷土史シリーズ ; その1)』 土岐町概史 近世 神篦本村 p59~p66 渡辺俊典 瑞浪市郷土史研究会 1983年