伴春雄
伴 春雄(とも の はるお)は、平安時代前期の貴族。官位は従四位下・播磨守。
時代 | 平安時代前期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 従四位下・播磨守 |
主君 | 陽成天皇→光孝天皇 |
氏族 | 大伴氏 |
父母 | 父:伴須賀雄、伴中庸、伴河男など諸説 |
子 | 保平、忠行 |
経歴
編集貞観19年(877年)正月に行われた陽成天皇即位後の叙位で従五位下に叙爵する(当時は散位)、同月末に京畿で発生した飢饉に際して、売常平所米使に任ぜられた。同年4月に陽成天皇の大嘗会の主基事を務めた[1]。元慶2年(878年)正月に再び売常平所米使に任ぜられる。その後、宮内少輔・右京亮を歴任する。
光孝朝に入ると、元慶9年(885年)紀伊介次いで紀伊守に任ぜられるが、任地へ赴いていなかったらしく、翌仁和2年(886年)同じく任地へ下向していない他の国司らと一緒に召問を受けた[2]。のち、従四位下・播磨守に至る。
官歴
編集注記のないものは『日本三代実録』による。