伊達村緝
伊達 村緝(だて むらつぐ[2]、むらまさ[3])は、仙台藩一門第八席・岩出山伊達氏第5代当主。
時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 宝永4年3月9日(1707年4月11日)[1] |
死没 | 元文元年2月25日(1736年4月5日) |
別名 | 大力、主馬、弾正 |
墓所 | 実相寺(岩手県大崎市) |
主君 | 伊達吉村 |
藩 | 仙台藩 |
氏族 | 伊達氏 |
父母 | 父:伊達村泰 |
兄弟 | 村緝、村敏 |
妻 | 正室:石川村弘の娘 |
子 | 子:村通、石川村俊室 |
生涯
編集宝永4年(1707年)岩出山伊達氏第4代当主・伊達村泰の嫡男として生まれる。幼名は大力。
享保元年(1716年)藩主伊達吉村に御目見する。享保4年(1719年)藩主吉村の加冠で元服し、偏諱を受けて主馬村緝と名乗る。
父村泰より宝蔵院流槍術を、家臣氏家知平に三冨流刀術を学び伝を極めた。[2]
享保16年(1731年)父の村泰死去により家督相続。元文年(1736年)2月25日死去。享年30。家督は嫡男村通が相続した。
出典
編集参考文献
編集- 『伊達世臣家譜』
- 『岩出山町史』
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