伊藤知剛
日本の陸軍軍人
伊藤 知剛(いとう ともたか、1887年(明治20年)4月17日[1] - 1946年(昭和21年)7月25日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
伊藤 知剛 | |
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生誕 |
1887年4月17日 日本 京都府 |
死没 | 1946年7月25日(59歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 |
1907年 - 1941年 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
経歴
編集1887年(明治20年)に京都府で生まれた[1]。陸軍士官学校第19期、陸軍大学校第32期卒業[1]。1931年(昭和6年)に陸軍歩兵大佐に進級し[2]、久留米連隊区司令官に就任した[2]。1933年(昭和8年)に歩兵第24連隊長[2]、1934年(昭和9年)に第16師団参謀長を歴任[2]。
1936年(昭和11年)に陸軍少将に進級し[2]、歩兵第7旅団長に着任[1]、1938年(昭和13年)に豊橋陸軍教導学校長に転じた[1]。1939年(昭和14年)3月9日に陸軍中将に進級し[2]、8月1日に留守第8師団長を経て[1]、1940年(昭和15年)8月1日に新設された第57師団長に親補された[1]。1941年(昭和16年)10月15日に参謀本部附[1]、12月2日に予備役に編入された[1]。1945年(昭和20年)3月20日に召集され陸軍兵器行政本部附となり[3]、4月1日に弘前師管区司令官に親補された[4]。
栄典
編集- 勲章等
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。