伊藤卯四郎
伊藤 卯四郎(いとう うしろう、1894年8月19日[1] - 1974年5月1日[1][2])は、大正、昭和時代の労働運動家・政治家、衆議院議員(9期)。衆議院鉱工業委員長[2]、民社党中央執行副委員長[2]。従三位勲一等。
経歴
編集長崎県南高来郡有明町(現島原市)出身[1]。島原尋常高等小学校卒[2]。東洋哲学塾に学ぶ[2]。
その後は北海道に渡り、炭鉱夫として働く[1]。労働運動に身を投じ、1920年歌志内炭坑労働組合組合長となる[1]。1922年長崎県に移り、日本労働総同盟南九州連合会を結成する[1]。1928年福岡県に移り、八幡製鉄所労働組合顧問となり[2]、労働運動を指導する[1]。社会民衆党福岡県連書記長[注 1]、福岡県会議員を2期務めた[1]。
戦後は日本社会党結党に参加。1946年総同盟九州連合会会長、総同盟副会長に就任[1]。同年当時の福岡2区から衆院選に社会党から出馬し初当選。以後当選9回を数える。炭鉱国管疑獄では、1948年衆議院不当財産取引調査委員会に証人喚問されている[3]。
1960年1月社会党から右派グループが離党して結成した民主社会党(のちの民社党)に参加。1965年春の叙勲で勲二等瑞宝章受章[4]。1962年西尾末廣委員長の下で、1970年委員長春日一幸の下で党中央執行副委員長を歴任。同年春の叙勲で勲二等旭日重光章受章[5]。
1974年4月3日、勲一等瑞宝章受章[6]。同年5月1日、肺癌のため福岡県北九州市小倉北区の小倉市立病院で死去、79歳[7]。死没日をもって従三位に叙される[8]。
脚注
編集注釈
編集- ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』43頁には「社会民主党」とあるが「社会民衆党」の誤り。
出典
編集参考文献
編集- 田中二郎、佐藤功、野村二郎編『戦後政治裁判史録 1』第一法規出版、1980年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
議会 | ||
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先代 新設 |
衆議院鉱工業委員長 1947年 - 1948年 |
次代 廃止 |