仏鑑慧懃
仏鑑慧懃(ぶっかん えごん)は、宋で活動した臨済宗楊岐派の禅匠である。楊岐下4世。大平山興国禅院に住したことから大平慧懃とも。
仏鑑慧懃 | |
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嘉祐4年 - 政和7年11月8日 (1059年 - 1117年12月3日) | |
諡号 | 仏鑑禅師 |
生地 | 舒州 |
宗派 | 臨済宗楊岐派 |
寺院 | 大平山興国禅院、智海寺、蔣山霊谷寺 |
師 | 五祖法演 |
弟子 |
文殊心道、何山守珣、祥符清海 南華知炳、浄衆了璨、龍牙智才 蓬莱 卿、谷山 海、寶蔵 本 寶峰 明 |
生涯
編集嘉祐4年(1059年)、舒州で誕生した。俗姓は汪氏。五祖法演の法を嗣ぎ、舒州大平山興国禅院住持となった。政和元年(1111年)、徽宗の勅命により東都智海寺住持となる。さらに蔣山霊谷寺に移り、政和7年11月8日(1117年12月3日)に沐浴更衣して坐脱した。詔して仏鑑禅師の号を賜る。圜悟克勤・仏眼清遠とともに東山の三仏と称揚された。法嗣は文殊心道・何山守珣・祥符清海ら10名が伝わる。
参考文献
編集- 禅学大辞典編纂所 編 『新版 禅学大辞典』p.96 1985年
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