人魚伝説 (映画)
『人魚伝説』(にんぎょでんせつ)は、1984年4月14日公開の日本映画。宮谷一彦原作の同名劇画の映画化。池田敏春監督、西岡琢也脚本、白都真理主演で映画化。ディレクターズ・カンパニー長編劇映画第1弾[1][2]、ATG提携作品[2]。
人魚伝説 | |
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監督 | 池田敏春 |
脚本 | 西岡琢也 |
製作 |
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出演者 | |
音楽 | 本多俊之 |
撮影 | 前田米造 |
編集 | 川島章正 |
製作会社 | |
配給 | ATG |
公開 | 1984年4月14日 |
上映時間 | 110分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
夫を殺された新妻が、1人で復讐のために権力に立ち向かっていく姿を描く[2]。
あらすじ
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夫婦海女を営む佐伯みぎわは、一人で海上に出ていた夫の啓介から殺人事件を目撃したことを告げられた。後日、上がらぬ死体の様子を確かめるべく、みぎわは海の中へ潜った。
だが、何者かが命綱を引いていた啓介を銛で殺害したうえに海の中へ投げ入れ、みぎわを水中銃で撃って気絶させた。
夫殺しの濡れ衣を着せられたみぎわは、町の実力者を親に持つ祥平の助けを借りて渡鹿野島へ逃げ、殺人が原発誘致に絡むものだったことを知る。そして真犯人への復讐を果たすべく行動を起こした。
キャスト
編集- 島の関係者
- 渡鹿野島関係
- 波摩町原発関係
スタッフ
編集製作
編集本作は池田敏春や長谷川和彦ら、映画監督9人で1982年6月に設立した映画製作会社・ディレクターズ・カンパニーの長編劇映画第1弾である[2]。池田監督は、1981年の『天使のはらわた 赤い淫画』の後、『火の蛾』(→『死んでもいい』)がポシャって以来の映画となった[5]。
撮影場所
編集作品の評価
編集興行成績
編集振るわず[6]。プロデューサーを務めた根岸吉太郎は「傷ついたね。でも『人魚伝説』はボクがプロデュースしなかったら無いものだと思いますから、誇りにしています。ああいういいプロデューサーに巡り合いたいね、ボクも(笑)」と述べている[6]。
受賞歴
編集第6回ヨコハマ映画祭で、池田監督が監督賞[7]を、主演の白都真理が主演女優賞を受賞した[8]。
映像ソフト
編集備考
編集- 日本映画専門チャンネルの放送では、独自の自主規制でR15+指定となっている。
- 監督の池田は2010年12月末、本作が撮影された波切漁港の堤防で水死体となって発見された[9]。
脚注
編集- ^ 石井百合子 (2014年10月20日). “伝説のカルト映画『人魚伝説』が初ブルーレイ化!舞台は故・池田敏春監督の遺体が発見された志摩”. シネマトゥデイ. 2014年11月13日閲覧。
- ^ a b c d “国立映画アーカイブ開館記念 アンコール特集 人魚伝説”. 国立映画アーカイブ. 2023年5月14日閲覧。“長谷川和彦とディレクターズ・カンパニー”. 国立映画アーカイブ. 2023年5月14日閲覧。“長谷川和彦とディレクターズ・カンパニー 人魚伝説”. 第35回東京国際映画祭. 2023年5月14日閲覧。
- ^ 壬生智裕 (2014年11月9日). “白都真理…涙 伝説のカルト映画でしごかれた故・池田敏春監督を思う”. シネマトゥデイ. 2014年11月13日閲覧。
- ^ “白都真理「人魚伝説」誕生秘話明かす…監督はそのロケ地で自殺”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2014年11月9日) 2020年1月27日閲覧。
- ^ 秋本鉄次「池田敏春インタビュー アクションなら『無頼』をやりたい。そう池田敏春は思い続けてきた。だから、『人魚伝説』」『シティロード』1984年4月号、エコー企画、21頁。
- ^ a b 「監督直撃 根岸吉太郎 『ひとひらの雪』」『シティロード』1985年8月号、エコー企画、21頁。
- ^ “映画監督が転落死か 三重・志摩の海で”. SANSPO.COM. (2011年1月28日). オリジナルの2011年1月31日時点におけるアーカイブ。 2014年10月18日閲覧。
- ^ a b “伝説のカルト映画、初ブルーレイ化”. デイリースポーツonline. (2014年10月17日) 2014年10月18日閲覧。
- ^ “映画監督の池田敏春さん、飛び降り自殺か”. YOMIURI ONLINE. (2011年1月28日). オリジナルの2014年10月20日時点におけるアーカイブ。 2014年10月18日閲覧。