井尻千男
井尻 千男(いじり かずお、1938年8月2日 - 2015年6月3日[1][2][3])は、日本の評論家、コラムニスト。拓殖大学名誉教授、拓殖大学日本文化研究所顧問(前所長)[4]。新しい歴史教科書をつくる会顧問[5]。
井尻千男 | |
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生誕 |
1938年8月2日 日本・山梨県 |
死没 | 2015年6月3日(76歳没) |
国籍 | 日本 |
教育 | 立教大学文学部日本文学科 |
職業 |
評論家 コラムニスト |
代表経歴 |
日本経済新聞社編集委員 拓殖大学教授 日本文化研究所長 国家基本問題研究所評議員長・顧問 主権回復記念国民集会主宰 |
肩書き |
拓殖大学名誉教授 拓殖大学日本文化研究所顧問 新しい歴史教科書をつくる会顧問 日本会議代表委員 |
概略
編集山梨県出身。立教大学文学部日本文学科卒業後、日本経済新聞社入社。文化部に勤務し、読書面のコラム『とじ糸』[6] 『活字のうちそと』などのコラムを25年間執筆し、コラムニストとして活動。
1982年7月、月刊誌『Voice』誌上において、佐々木敦というペンネームでコラム「ベストセラー最前線」の執筆を開始。連載は1991年3月に『流行の言説・不易の思想―ベストセラー書評社会学』、1996年4月に『読書の醍醐味―ベストセラーで読み解く世紀末』としてまとめられている。
日経新聞編集委員を経て1997年に退社。
1997年から2008年まで拓殖大学教授、日本文化研究所長を務め、2010年度まで公開講座「新日本学」を主宰。また季刊誌『新日本学』を発行。その他、月刊誌『選択』での連載[6]や、1997年から2002年まで『週刊新潮』にコラム『世間満録』を連載。
日本会議代表委員、明治の日推進協議会代表委員[7]、維新政党・新風講師、国家基本問題研究所評議員長、きょうと青年政治大学校講師などを務める[8]。
小堀桂一郎、入江隆則らと共に4月28日の主権回復記念日の祝日制定を主張しており、毎年同日に主権回復記念国民集会を主宰[9]。
数寄者としても知られ、山梨の四千坪の敷地内に独学で茶室を設計し、3年がかりで本宅に完成させた[6]。その模様は『男たちの数寄の魂』(清流出版)に収録されている。なお、井尻氏は佐々木源氏系の豪族であり、室町時代から現在本宅のある場所に城館を構えていて、現在も空堀跡や庭園などの遺構が残っている[9][10]。
2015年6月3日、膵臓癌により山梨県の自宅で死去[1][2][3][11][12]。満76歳没。2014年7月に入院し膵臓癌の手術を受け、8月に一時退院しヨーロッパに旅行で訪れた際の帰国便で病状が悪化。入退院を繰り返していた。2015年4月28日の「主権回復記念国民集会」には主催者の1人として、病院から車椅子で会場に駆けつけ主権の重要性を主張していた[9][13]。
人物
編集著書
編集タイトル | 刊行年 | 出版社 |
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産業知識人の時代 成熟社会の構図を探る | 1982年 | PHP研究所 |
出版文化 夢と現実 | 1984年 | 牧羊社 |
消費文化の幻想 オーソドックスとは何か? | 1988年 1993年 |
PHP研究所 PHP文庫 |
玩物喪志 平和と豊かさの代償 | 1990年 | サイマル出版会 |
流行の言説・不易の思想 ベストセラー書評社会学 | 1991年 | PHP研究所 |
文章表現の研究 さまざまな生と死 | 1992年 | 日本エディタースクール出版部 |
自画像としての都市―その理念と造営能力を問う | 1994年 | 東洋経済新報社〈日本を考える〉 |
劇的なる精神 福田恆存 | 1994年 1998年 |
日本教文社〈教文選書〉 徳間文庫 |
言葉を玩んで国を喪う | 1995年 | 新潮社 |
読書の醍醐味 ベストセラーで読み解く世紀末 | 1996年 | PHP研究所 |
書に依りて世を論ず | 1996年 | 新潮社 |
日本あやうし | 1999年 | 新潮社 |
共同体を保守再生せよ | 1999年 | 秀明出版会〈発言者双書〉 |
漫録おやじ日本を叱る | 2000年 | 新潮社 |
保守を忘れた自民政治 | 2002年 | ワック |
世界一孤独になった日本人 拡散から求心力へ | 2003年 | ワック |
日本再生 一国一文明の気概を | 2003年 | グラフ社 |
男たちの数寄の魂 | 2007年 | 清流出版 |
明智光秀 正統を護った武将 | 2010年 | 海竜社 |
歴史にとって美とはなにか 宿命に殉じた者たち | 2016年 | 啓文社 |
都市との対話 とある建築の意匠(仮) | (未刊行) | 啓文社 |
共著
編集- 『知の位相空間―現代の知性13人へのインタビュー集』(1991年、HBJ出版局)
- 『日本の国がら』(1994年、東洋経済新報社)
- 『主権回復 本当の終戦記念日は、四月二十八日である』(2008年、近代出版社)
出演
編集- 報道ワイド日本 / 桜プロジェクト[1] (コメンテーター、月曜日、2004年8月23日 - 2015年3月30日、日本文化チャンネル桜)
出典
編集- ^ a b c “◆ 【訃報】 井尻千男先生 ご逝去”. 日本文化チャンネル桜 (2015年6月3日). 2015年6月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年6月4日閲覧。
- ^ a b “井尻千男氏が死去 日本経済新聞社社友、元編集委員”. 日本経済新聞社 (2015年6月4日). 2015年6月4日閲覧。
- ^ a b “【訃報】井尻千男氏(評論家、拓殖大名誉教授)”. 終活WEB ソナエ 産経新聞 (2015年6月4日). 2015年6月4日閲覧。
- ^ チャンネル桜 | 井尻 千男
- ^ “役員構成”. 新しい歴史教科書をつくる会. 2015年6月9日閲覧。
- ^ a b c “井尻千男さん クリティーナ平山さん 大西二郎さんほか - 加登屋のメモと写真…”. 清流出版 (2006年4月1日). 2015年6月8日閲覧。
- ^ “明治の日推進協議会役員一覧(令和5年10月23日現在)”. 明治の日推進協議会. 2023年11月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年2月1日閲覧。
- ^ “自由民主党 京都府支部連合会 創立60年史” (PDF). 自由民主党京都支部. 2017年12月2日閲覧。p.59
- ^ a b c “宮崎正弘の国際ニュース・早読み(井尻千男氏、追悼)”. 宮崎正弘 (2015年6月3日). 2015年6月4日閲覧。
- ^ 宮崎正弘のホームペイジ | 辛口コラム
- ^ “評論家の井尻千男さん死去 76歳 日経新聞読書面コラムなど”. スポーツニッポン (2015年6月4日). 2015年6月4日閲覧。
- ^ nobukatsu.fujiokaの投稿(840960682656374) - Facebook
- ^ 【追悼特番】井尻千男先生、在りし日のお姿と遺された言葉[桜H27/6/4] - YouTube
- ^ “喫煙文化研究会の設立趣旨”. 喫煙文化研究会. 2019年3月29日閲覧。