五百石町
日本の富山県中新川郡にあった町
五百石町(ごひゃっこくまち)は、かつて富山県中新川郡にあった町。 五百石の名称は文政年間金沢の人朽木兵左衛門が藩主の許しを得て数年にして開墾し、出來した五百石の地から由来すると伝えられている[2]。
ごひゃっこくまち 五百石町 | |
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廃止日 | 1942年6月8日 |
廃止理由 |
新設合併 中新川郡五百石町・大森村・下段村・高野村 → 雄山町 |
現在の自治体 | 立山町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方(北陸地方) |
都道府県 | 富山県 |
郡 | 中新川郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 5.29 km2. |
総人口 |
4,060人 (1939年11月) |
隣接自治体 | 新川村、高野村、下段村、大森村、利田村 |
五百石町役場 | |
所在地 | 富山県中新川郡五百石町前沢新村[1] |
座標 | 北緯36度39分48秒 東経137度18分49秒 / 北緯36.66336度 東経137.31367度座標: 北緯36度39分48秒 東経137度18分49秒 / 北緯36.66336度 東経137.31367度 |
ウィキプロジェクト |
沿革
編集- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、上新川郡松本開、前沢新村、野口新村、本郷島村、西芦原新村、大窪新村、手屋村、宮成新村及び貫田村の区域をもって、上新川郡五百石町が発足する。
- 1896年(明治29年)3月29日 - 郡制の施行のため、上新川郡の区域から分立して、中新川郡が発足により、中新川郡に所属となる。
- 1897年(明治30年)4月 - 町役場が松本開211番地へ移転。それまでは個人宅を転々としていた[1]。
- 1906年(明治39年)11月 - 町役場が旧五百石尋常小学校校舎へ移転[1]。
- 1912年(大正元年)- 五百石町 人口3,348人,戸数552戸 (米穀関係7軒,自転車関係4軒)[3]
- 1922年(大正11年)11月5日 - 前沢新村地内に新築の町役場庁舎が落成し、移転[1]。
- 1942年(昭和17年)6月8日 - 中新川郡五百石町、大森村、下段村及び高野村が合併して、中新川郡雄山町(人口9,173人)が発足する[4]。町役場は雄山町役場に引き継がれた[5]。
通運
編集五百石町(現:立山町)発展に関係のある鉄道交通,通信情報
- 1913年(明治34年)- 越中國 五百石郵便局から五百石郵便電信局となる[6]
- 1913年(大正2年)2月2日 - 五百石郵便局で電話交換業務開始[7]
- 1913年(大正2年)6月27日 - 立山輕便鐵道 滑川-五百石間 営業開始[8](現在の富山地方鉄道線とは路線ルートが異なる)
- 1931年(昭和6年)8月15日 - 富山電氣鐵道 富山田地方駅-上市仮駅,寺田-五百石間営業開始[9]
- 1932年(昭和7年)6月1日 - 富山電氣鐵道 富山-寺田貨物運輸営業開始[10]
- 1932年(昭和7年)12月20日 - 富山電氣鐵道(旧立山輕便鐵道) 上市口-五百石貨物停車場(旧五百石駅)運輸営業廃止[11]
[参考文献:官報 国立国会図書館デジタルコレクション]
学校
編集- 五百石女子補習學校
- 五百石實業補習學校
- 五百石尋常高等小學校
[参考文献:全国学校名鑑 大正15年版 頁822,823 国立国会図書館デジタルコレクション]
脚注
編集- ^ a b c d 『立山町史 下巻』(1984年2月15日、立山町発行)1197頁。
- ^ 富山県名鑑 帝国興信所富山支所国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 商工名鑑(327/495) 大正元年国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 富山統計年鑑 平成28年富山県統計調査課
- ^ 『立山町史 下巻』(1984年2月15日、立山町発行)1204頁。
- ^ 法令全書 明治34年国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 官報 大正2年1月28日国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 官報(6/22) 大正2年7月2日国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 官報 昭和6年8月26日国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 官報 昭和7年6月9日国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 官報 昭和8年1月24日国立国会図書館デジタルコレクション
参考文献
編集- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
- 『統計たてやま 2013』立山町 2013年9月。
- 『立山町史 下巻』立山町 1984年2月15日。