亀井高孝
亀井 高孝(かめい たかよし、1886年6月8日 - 1977年10月4日)は、日本の西洋史学者。
人物情報 | |
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生誕 |
1886年6月8日 日本山形県 |
死没 | 1977年10月4日 (91歳没) |
出身校 | 東京帝国大学 |
子供 | 亀井孝(長男・国語学者)、阪田雪子(三女・日本語教育研究者) |
学問 | |
研究分野 | 歴史学(西洋史) |
研究機関 | 第一高等学校・清泉女子大学 |
経歴
編集1886年、旧伊賀旧名張藩主家(藤堂氏)出身の藤堂高矩の二男として、父の赴任地山形県で生まれる。父の没後、亀井家の養子となった。
東京府立第一中学校、第一高等学校を経て、1909年東京帝国大学文科大学西洋史学科卒業。大学院に進学した後、1912年から東京府立第一中学校教諭、1920年から水戸高等学校教授、1923年から一高教授となり、1941年には同教頭。1944年に退官。
戦後、1949年に清泉女子大学文学部教授となり、1961年に退職[1]。1965年、中村喜和らと共にソビエト連邦を訪問し、大黒屋光太夫に関する事績を1か月間調査[2]。1977年に死去
栄典
編集家族・親族
編集著作
編集著書
編集共著
編集- 『岩波西洋人名辞典』野上豊一郎・石原純共編、岩波書店 1932
- 『概説西洋歴史』林健太郎共著、大八洲出版 1948
- 再版 吉川弘文館
- 『世界歴史対照年表』三上次男・児玉幸多共編、吉川弘文館 1950
- 『世界歴史地図』三上次男共編、吉川弘文館 1950
- 『定本世界史地図』三上次男共編、吉川弘文館 1954
- 『標準世界史地図』三上次男・堀米庸三共編、吉川弘文館 1955
- 『標準世界史年表』三上次男共編 吉川弘文館 1962[5]
- 『魯西亜弁語』村山七郎・中村喜和共編著、近藤出版 1972
- 『世界史年表・地図』三上次男・林健太郎・堀米庸三共編、吉川弘文館 1995
校訂
編集脚注
編集- ^ 20世紀日本人名事典
- ^ 田中喜和名誉教授年譜
- ^ 『官報』第5108号「叙任及辞令」1944年1月26日。
- ^ 明治十二年明治天皇御下命「人物写真帖」(皇居三の丸尚古館)
- ^ のちに林健太郎、三上共編で再版。