九鬼隆郷
江戸時代中期から後期にかけての大名
九鬼 隆郷(くき たかさと)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。丹波国綾部藩7代藩主。官位は従五位下式部少輔。
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 安永9年10月3日(1780年10月30日) |
死没 | 文化5年5月30日(1808年6月23日) |
戒名 | 雲外隆松高峯院 |
官位 | 従五位下式部少輔 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 丹波綾部藩主 |
氏族 | 九鬼氏 |
父母 | 九鬼隆貞、九鬼隆棋 |
兄弟 | 隆郷、九鬼隆棋正室、斉藤三英正室、蕗ら |
妻 | 伊達村賢娘登 |
子 | 隆度、隆都、土方雄興正室、下間仲潔 |
略歴
編集5代藩主・九鬼隆貞の三男(五男との説もある)として誕生。
誕生後まもなく実父・隆貞が死去した。このため、姉婿の隆棋が跡を継ぎ、隆郷はその養嗣子となった。天明7年(1787年)、隆棋の死去により家督を継ぐ。しかしその治世は京都、江戸における藩邸、城下町300軒が火事で焼失するなど多難を極めた。文化5年(1808年)5月30日、29歳で死去し、跡を長男の隆度が継いだ。