九鬼隆輝
九鬼隆義の七男。旧三田藩主。
九鬼 隆輝(くき たかてる、明治3年12月28日(1871年2月17日) - 昭和23年(1948年)8月21日[1])は、日本の華族(子爵)。三田九鬼家当主。
経歴
編集慶應義塾幼稚舎(同窓に小早川四郎、毛利五郎、広沢金次郎、松平康荘)を経て[2]、1889年(明治22年)に明治学院を卒業するとアメリカ合衆国へ渡り、マサチューセッツ工科大学を卒業。この間、1891年(明治24年)に父、隆義が死去したことにより襲爵。帰国後は神戸市須磨に居住した[3]。父の行っていた投資活動を引き継ぎ、兵庫県多額納税者であり続けた[4]。
親族
編集妻に朽木為綱の娘である鋪子を迎え、長男、九鬼隆興が生まれた。隆興は植物学者の道を歩んだが、家督を受け継ぐことなく1928年(昭和3年)に死去[5]。
脚注
編集- ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻(霞会館、1996年)p.530
- ^ “慶應義塾五十年史”. 慶應義塾大学 (1907年). 2024年10月4日閲覧。
- ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、319頁。ISBN 978-4-06-288001-5。
- ^ “人事興信録 九鬼隆輝”. 名古屋大学 (1928年). 2024年3月30日閲覧。
- ^ 『官報』第336号、1928年2月14日。
日本の爵位 | ||
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先代 九鬼隆義 |
子爵 (三田)九鬼家2代 1891年 - 1947年 |
次代 (華族制度廃止) |