乙部町
乙部町(おとべちょう)は、北海道南西部、檜山振興局中部にある日本海に面した町。爾志郡に属する。
おとべちょう 乙部町 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 北海道地方 | ||||
都道府県 | 北海道(檜山振興局) | ||||
郡 | 爾志郡 | ||||
市町村コード | 01364-1 | ||||
法人番号 | 1000020013641 | ||||
面積 |
162.59km2 | ||||
総人口 |
3,122人 [編集] (住民基本台帳人口、2024年11月30日) | ||||
人口密度 | 19.2人/km2 | ||||
隣接自治体 |
檜山郡江差町、厚沢部町、 二海郡八雲町 | ||||
町の木 | スギ | ||||
町の花 | ユリ | ||||
町の鳥 | なし | ||||
乙部町役場 | |||||
町長 | 寺島努 | ||||
所在地 |
〒043-0103 北海道爾志郡乙部町緑町388 北緯41度58分07秒 東経140度08分08秒 / 北緯41.9685度 東経140.13561度座標: 北緯41度58分07秒 東経140度08分08秒 / 北緯41.9685度 東経140.13561度 | ||||
外部リンク | 乙部町 | ||||
ウィキプロジェクト |
概要
編集渡島半島上に位置する町であり、西に日本海を臨む。本町の南に位置する江差町などと共に、江戸時代中期頃からにしん漁の漁港として栄えた。
町名の由来
編集町名はアイヌ語の「オトウンペ」(河口に沼のある川)に由来する。その川は現在の姫川である。
地理
編集北緯41°58、東経140°08。南は江差町、北は八雲町熊石地区に隣接し、東は乙部岳、突符岳を背に厚沢部町とも境界をなす。町域は東西17.3km、南北15.6kmで、総面積は162.53km2である。全体が波状性丘陵地であり、海岸線まで山が迫り平野部は少ない。町域海岸部の大半は檜山道立自然公園に指定されている。海岸沿いに国道229号線が走り、町域全体の81%が山林であり、人口は海岸部の集落に集中している。町政施行は昭和40年で、人口も1万人を超えたこともある。役場の所在地は、檜山振興局が所在する江差町、厚沢部町役場へ12km、上ノ国町役場へは18km、せたな町には60km、今金町には80km、渡島総合振興局の所在する函館市から71kmの位置にあり、隣接する八雲町役場には約60kmである。管内他町と同様、漸次人口減の傾向を見せている。
- 山:乙部岳(1017 m)、九郎岳(970 m)
- 河川:姫川
- 岬:突符岬、鮪ノ岬、館ノ岬
隣接している自治体
編集人口
編集乙部町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 乙部町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 乙部町
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
乙部町(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
沿革
編集姉妹都市・提携都市
編集姉妹樹:中華人民共和国湖南省張家界市・武陵源(世界遺産)内の「重歓木」 / 森の巨人たち百選選定「縁桂」(互いに連理の木である。)
経済
編集- 漁業はイカ、サクラマス、延縄漁で行なうスケトウダラなどが中心。ひやま漁業協同組合の本所がある。
- 農業は、イネ、食用百合根、ジャガイモ、イチゴ、ブロッコリー、黒千石大豆をはじめとする大豆など。
- 二次産業としては、水産加工業をはじめ、CAC化粧品の工場がある。
立地企業
編集- 札幌酒精工業(おとべワイン)
- CAC乙部工場
- ㈱マルサ笹谷商店 乙部工場
- ㈱小川商店 乙部工場
農協・漁協
編集金融機関
編集- 道南うみ街信用金庫乙部支店
郵便局
編集- 乙部郵便局(集配局)
- 豊浜郵便局
宅配便
編集公共機関
編集警察
- 江差警察署
- 乙部駐在所
- 豊浜駐在所
林野庁
- 檜山森林管理署乙部上級森林事務所
消防
- 檜山広域行政組合乙部消防署
教育
編集乙部には、近代以前から和人が居住していたので、本州同様居住者対象の寺子屋は存在していた。 記録は散逸して定かではないが、1850年(嘉永3年)には寺院利用の寺子屋があったという記述が残されている。
小学校
編集明治時代、「学制」の施行により、開拓使の手により、学校の開設は進められていった。乙部においては、各村からの拠出金により、学校は次々と開設されていったようである。1878年(明治11年)頃には、乙部学校(乙部村)、突符学校(突符村)、三ツ谷学校(三ツ谷村)、小茂内学校(小茂内村)蚊柱学校(蚊柱村)がそれぞれ開校している。突符学校では特に向突符(元和)は遠隔であるとして分校を設け、1882年(明治15年)に愛教学校として開校している。その後、学校制度改正に合わせて変遷し、戦後の学制改革によって、新制小学校として、乙部小学校、姫川小学校、姫川小学校富岡分教場、栄浜小学校、栄浜小学校元和分校、明和小学校が発足した。 その後、少子高齢化等の児童数減少により、元和分校・富岡小(中)学校がそれぞれ休廃校し、2011年(平成23年)3月、姫川小学校が115年の歴史に幕を閉じ、児童は乙部小学校に編入した。また、2022年(令和4年)3月、栄浜小学校も乙部小学校に編入された。
- 乙部町立乙部小学校
- 乙部町立明和小学校
中学校
編集戦後の学制改革によって、新制中学の設置が見られ、乙部中学校、栄浜中学校、姫川中学校、明和中学校がそれぞれ小学校に併設されて発足した。1950年(昭和25年)には、富岡分教場が中学校併置で分離独立して富岡小中学校となり、昭和30年代までに各中学校も独立校舎を新築している。その一方で、生徒減や校舎の老朽化、交通の改善で学校の統廃合が行われ、1981年(昭和56年)に元和分校が廃校、1997年(平成9年)には富岡小中学校は休校となった。
2003年(平成15年)、過疎化による人口減や少子化による生徒数の減少を考慮し、町内の5中学校(休校中の富岡中含む)の統合計画が確定し、2004年(平成16年)より町内中学校が統合、新設「乙部中学校」が新校舎と共に町内唯一の中学校として発足した。
2006年度(平成18年度)、高齢者等の生活弱者に対する雪かきなどのボランティア「猫の手活動」や、地域の総合的学習を積極的に推進し、それが評価され、北海道教育実践表彰を受けた。
- 乙部町立乙部中学校
高等学校
編集1949年(昭和24年)、北海道江差高等学校の乙部分校から独立して、定時制高校として北海道乙部高等学校が発足したが、昭和40年代半ばから、親の教育ニーズの変化や人口の流失等で入学者減が進み、江差、乙部、厚沢部、上ノ国の4町が結成した「檜山南部地区高校整備促進期成会」が、江差高校・厚沢部高校・乙部高校を統廃合する事を検討し、合意に至った。定時制高校としての乙部高校は、1982年(昭和57年)に最後の卒業生6人を送り出し閉校となった。
交通
編集鉄道
編集町内を鉄道路線は走っていない。鉄道を利用する場合の最寄り駅は、JR北海道函館本線八雲駅、あるいは北海道新幹線新函館北斗駅及び木古内駅。
バス
編集なお、鉄道駅や高速バス乗り場と町内を直結する路線は存在せず、遠隔地との間を公共交通で移動する場合、江差ターミナルで乗り継ぎとなる。
道路
編集空港
編集名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
編集文化財
編集観光
編集- 海岸部が檜山道立自然公園に指定。
- 元和台海浜公園:海辺にブロックが敷かれた「海のプール」。環境省の「快水浴場百選」に、北海道からは唯一指定。
- 縁桂:樹径6m・5.1m、樹高40mの2本のカツラの連理の巨木。樹齢500年以上(推定)。林野庁の「森の巨人たち百選」に指定。
- 温泉:町内では、乙部(館浦)・鳥山・緑町の3か所で湧出しており、乙部温泉では温泉旅館と北海道初のバリアフリーの温泉ホテルなどがある。
- 地層:町内では地層の露頭が豊富であり、国道229号線上から望むことができる館の岬(海岸段丘)、鮪の岬(安山岩柱状節理/北海道天然記念物)をはじめ、滝瀬海岸や、海岸沿いには奇岩怪石が点在。田園地帯には貝子沢化石公園(貝類化石の露頭層)も存在する。
- 箱館戦争官軍上陸の地:箱館戦争(戊辰戦争の最終局面)において、榎本軍(旧幕府軍)に占拠されていた蝦夷地を奪還すべく、新政府軍(官軍)が軍艦「甲鉄」などで上陸した最初の地である。
祭事・催事
編集- 元和台マリンフェスティバル(海水浴場開設期間の前半)
- 温泉&産業まつり(8月上旬)(近年は産業まつりとして9月上旬に開催)
- ふれあい交流盆踊り(8月14日)
- 八幡神社例大祭(8月14日~16日)
- 縁桂森林フェスティバル(秋分の日)
- シバレ・ふれあい富岡(1月下旬)