中沖豊
中沖 豊(なかおき ゆたか、1927年9月16日 - 2018年6月24日)は、日本の政治家。元富山県知事(6期)。
中沖豊 なかおきゆたか | |
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生年月日 | 1927年9月16日 |
出生地 | 富山県富山市 |
没年月日 | 2018年6月24日(90歳没) |
出身校 | 東京大学法学部 |
前職 |
国家公務員 消防大学校校長 |
所属政党 |
(自由民主党→) 無所属 |
称号 | 旭日大綬章 |
子女 |
中沖剛(長男、大阪労働局長) 中沖雄(次男、富山銀行頭取) |
当選回数 | 6回 |
在任期間 | 1980年11月11日 - 2004年11月8日 |
来歴・人物
編集富山県富山市出身。旧制富山高等学校を経て、1950年東京大学法学部卒業後、地方自治庁(後の自治省、現在の総務省)に入庁。富山県総務部長、同県教育長、消防大学校校長、消防庁防災救急課長、石川県経済部長、北陸新幹線建設促進同盟会長を歴任[1]。
1980年、当時の知事中田幸吉急死により行われた富山県知事選に立候補し初当選。以後、「健康・スポーツ」「花と緑」「科学・文化」の「三つの日本一」への挑戦を掲げた住みよい県作り等を推進。「いい人いい味いきいき富山」観光キャンペーンを展開したほか、富山空港のジェット化、北陸新幹線や北陸自動車道など交通インフラの整備、高志リハビリテーション病院の開院、ジャパンエキスポ富山や2000年とやま国体の誘致、テレビユー富山(現・チューリップテレビ)の開局にも力を注いだ。特に北陸新幹線の整備に力を注いだことから『ミスター新幹線』の愛称で呼ばれた[1]。
無所属での立候補が常態化していた知事選において、1996年まで自由民主党公認で当選していた。しかし6期目となった2000年の知事選では、初めて無所属として立候補した。これは、中沖の幅広く支持を得たいという思惑と、幅広い県民のために働く無所属として出るべきだと自民党に要求した、連合富山会長代理の又市征治の働きかけが一致したものと言われている。その結果、自民・公明・民主・保守・県民社協会・連合富山の推薦を受け当選した。
6度の知事選は全て日本共産党公認か、共産推薦の無所属候補との一騎討ちであった。しかし無所属として立候補した最後の選挙を除き、他党の推薦を必要としなかったのが、典型的な非共産オール与党候補との違いであった。
2004年1月に脳梗塞により体調を崩して入院し[2]、同年8月、健康上の理由から7期目への不出馬を表明し、任期を終えた同年11月引退。引退後も富山県ひとづくり財団理事長や富山空港ターミナルビルの会長を務めた[1]。
2004年に北日本新聞文学賞、2005年11月に旭日大綬章[3]をそれぞれ受章[1]。
2015年3月14日、富山県に北陸新幹線が開業。1973年の整備計画決定から42年越しの開業であった。開業前の試乗会にも参加[4]。開業後には開業までの苦悩を語った[5]。
2018年6月24日、肺炎のため死去[6]。90歳没。通夜・葬儀は家族葬にて行われ、後日にお別れ会が開かれた[1][7]。叙従三位[8]。
親族
編集著書
編集- 『新たな気流にのって』(ぎょうせい、1987年12月)
- 『水と緑といのち輝く富山-六期二四年間の軌跡』(チューエツ、2006年1月)
脚注
編集- ^ a b c d e 北日本新聞 2018年6月25日付朝刊1面『中沖豊元知事 死去』より。
- ^ 北日本新聞 2018年6月25日付朝刊2面『中沖県政6期24年』より。
- ^ “平成17年秋の叙勲 旭日大綬章受章者” (PDF). 内閣府. p. 1 (2005年11月3日). 2005年11月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月19日閲覧。
- ^ “感激、悲願の新幹線 県内政治・経済界トップ試乗|北日本新聞ウェブ[webun ウェブン]”. webun. 2019年7月13日閲覧。
- ^ “May 2015:特集「開業 北陸新幹線」| KAJIMAダイジェスト | 鹿島建設株式会社”. www.kajima.co.jp. 2019年7月13日閲覧。
- ^ “中沖豊氏死去(前富山県知事)”. 時事通信 (2018年6月24日). 2018年6月24日閲覧。
- ^ “中沖豊・前知事功績たたえ お別れの会に800人参列 富山 /富山”. 毎日新聞 (2018年7月31日). 2019年1月10日閲覧。
- ^ 『官報』7309号、平成30年7月20日
- ^ 富山銀行頭取に中沖氏 齊藤氏死去で就任、元知事の次男北日本新聞2020.05.20 15:35
- ^ 中沖さんの功績しのぶ 富山で県民お別れの会 北日本新聞2018.07.30 00:30
公職 | ||
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先代 中田幸吉 |
富山県知事 公選第11 - 16代:1980年 - 2004年 |
次代 石井隆一 |