中川不器男
日本の実業家
中川 不器男(なかがわ ふきお、1899年12月24日 - 1967年10月13日)は、日本の実業家。位階は正四位。勲等は勲二等。
なかがわ ふきお 中川 不器男 | |
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中川不器男 | |
生誕 |
1899年12月24日 大阪府堺市 |
死没 |
1967年10月13日(67歳没) 愛知県 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 神戸高等商業学校卒業 |
職業 | 実業家 |
来歴・人物
編集1921年神戸高等商業学校(現神戸大学)卒業[1]。三井銀行から派遣されていた折りの1961年、4代目トヨタ自動車工業代表取締役社長就任に至る。就任当時、佐吉の甥であり喜一郎の従兄弟である豊田英二が適任と見られていたが、貿易・資本の自由化、自動車業界再編の時流に即し、経営能力に長けた中川の方がより適任と判断されたと見られている。
1967年10月、東京でトヨタ自動車販売の会議に出席し、名古屋に戻った後に体の不調を訴えて急逝。後任の5代目社長は豊田英二。
略歴
編集栄典
編集脚注
編集- ^ 「経済学部・経済学研究科ファクトブックⅠ』(強み・特色編)」 神戸大学経済学部
- ^ a b c 「トヨタ自動車工業株式会社・トヨタ自動車株式会社」『トヨタ企業サイト|トヨタ自動車75年史|歴代役員|歴代の会長・副会長・社長(含 受章歴)』トヨタ自動車、2012年6月末日。
ビジネス | ||
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先代 石田退三 |
トヨタ自動車工業社長 第4代:1961年 - 1967年 |
次代 豊田英二 |